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豊橋の境松遺跡 竪穴建物群や独立棟持柱の遺構を発見

建物群跡がみつかった境松遺跡(提供)
建物群跡がみつかった境松遺跡(提供)
県内4例目となる「独立棟持柱」の跡=牟呂町で
県内4例目となる「独立棟持柱」の跡=牟呂町で

 豊橋市文化財センターは牟呂町坂津地区で発掘中の「境松遺跡」について、弥生後期から古墳前期(2~4世紀頃)とみられる竪穴建物群や特殊な柱を持つ大型建築物の遺構を見つけたと発表した。隣接の遺跡と一体で環濠(かんごう)集落を形成していたとみられ、今回発掘した建物跡は柱様式などが特殊なことから神殿か権力者の居宅だったことが有力視されている。
 牟呂坂津地区の土地区画整理事業に伴う緊急調査の一環で、文化財センターによると、西隣ですでに調査を終えた若宮遺跡を含め付近は段丘が広がっていたという。
 最も標高が高い境松遺跡に18の竪穴建物跡が見つかった。解体後に建て直した跡もあり、海浜部に大集落があったと確実視している。境松遺跡は環濠集落の中心部とみられ、重要な建築物跡などの遺構が数多く見つかっている。
 掘立柱建物群跡の中でも「独立棟持柱(どくりつむなもちばしら)」と呼ばれる建物跡は、切妻屋根の外側を支えるように北東と南西側の線上に2本の太い柱跡が確認された。4世紀頃の建物で広さは約46平方㍍、柱は集落を治める人物の権力の象徴とみられる。
 独立棟持柱の建物跡は拠点集落跡でみられ、県内では名古屋市などの3遺跡でしか発見されていない。
 村上昇主任学芸員は「独立棟持柱の建物は県内で過去最大。地形や建物群の状況から大集落と政治的リーダーの存在が確実視される」と説明した。
 発掘現場で市民向け説明会を8月6日の午前10時半、午後2時半から開く。駐車場がなく、豊鉄バス(外神バス停から徒歩約10分)の利用を呼び掛けている。問い合わせは豊橋市文化財センター(0532・56・6060)へ。
【加藤広宣】

 豊橋市文化財センターは牟呂町坂津地区で発掘中の「境松遺跡」について、弥生後期から古墳前期(2~4世紀頃)とみられる竪穴建物群や特殊な柱を持つ大型建築物の遺構を見つけたと発表した。隣接の遺跡と一体で環濠(かんごう)集落を形成していたとみられ、今回発掘した建物跡は柱様式などが特殊なことから神殿か権力者の居宅だったことが有力視されている。
 牟呂坂津地区の土地区画整理事業に伴う緊急調査の一環で、文化財センターによると、西隣ですでに調査を終えた若宮遺跡を含め付近は段丘が広がっていたという。
 最も標高が高い境松遺跡に18の竪穴建物跡が見つかった。解体後に建て直した跡もあり、海浜部に大集落があったと確実視している。境松遺跡は環濠集落の中心部とみられ、重要な建築物跡などの遺構が数多く見つかっている。
 掘立柱建物群跡の中でも「独立棟持柱(どくりつむなもちばしら)」と呼ばれる建物跡は、切妻屋根の外側を支えるように北東と南西側の線上に2本の太い柱跡が確認された。4世紀頃の建物で広さは約46平方㍍、柱は集落を治める人物の権力の象徴とみられる。
 独立棟持柱の建物跡は拠点集落跡でみられ、県内では名古屋市などの3遺跡でしか発見されていない。
 村上昇主任学芸員は「独立棟持柱の建物は県内で過去最大。地形や建物群の状況から大集落と政治的リーダーの存在が確実視される」と説明した。
 発掘現場で市民向け説明会を8月6日の午前10時半、午後2時半から開く。駐車場がなく、豊鉄バス(外神バス停から徒歩約10分)の利用を呼び掛けている。問い合わせは豊橋市文化財センター(0532・56・6060)へ。
【加藤広宣】

建物群跡がみつかった境松遺跡(提供)
建物群跡がみつかった境松遺跡(提供)
県内4例目となる「独立棟持柱」の跡=牟呂町で
県内4例目となる「独立棟持柱」の跡=牟呂町で

カテゴリー:社会・経済

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