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37年間、受刑者の歯を治療

37年間の活動を振り返る村田理事長=村田小児歯科センターで
37年間の活動を振り返る村田理事長=村田小児歯科センターで
支所長からの感謝状を受け取る村田理事長(左から3番目、提供)
支所長からの感謝状を受け取る村田理事長(左から3番目、提供)

村田さん、豊橋刑務支所の医師を3月に引退

 豊橋市春日町2の「村田小児歯科センター」の村田格一理事長(76)は37年間にわたり、名古屋刑務所豊橋刑務支所で受刑者の歯の治療を続け、3月31日に引退した。その歴史を語ってもらった。
 1973年に愛知学院大学歯学部卒、81年に村田小児歯科を開業した。87年7月、名古屋刑務所に勤務している友人から要請を受けた。
 当時、支所では業務していた歯科医師が高齢のため引退し、後任を探していた。しかし、無給であることなどが条件のため、難航していた。村田理事長は「誰かの役に立ちたい」と考え、社会貢献の一環として引き受けた。
 支所は診察室を含めて改築工事中だった。村田理事長は自身の仕事をしながら、必要な医療器具を選んだ。その後、施設の工事を終えて受刑者の収容が再開し、10月から診察業務を始めた。
 村田理事長は「どこから治せばいいか迷った時もあったが、受刑者が苦痛を感じる歯を優先的に治すことを心掛けた」と振り返る。治療行為に制限がある中、一日3~4人を診察した。同時に医務課職員に治療に関する指導もしてきた。
 19年間無給だったが、2006年に名古屋刑務所の人事簿に登録され、有給になった。その後、法務大臣表彰など数多くの賞が贈られた。17年には支所が女性施設に変わったが、治療を続けた。また、本を通して広い社会の一端を開いてほしいと、これまでに約7000冊を寄贈した。
 支所は村田理事長の年齢などを考え、次の医師を受け入れることにした。3月28日、最後の診察のため訪れた村田理事長へ長年にわたる貢献に対し、支所長から感謝状が贈られた。
 村田理事長は「ここでの活動は日常生活の一部になっていた。もう少し続けたい気持ちもあった。これからも、仕事を通じて社会の役に立つことをしたい」と笑顔で話した。
【林大二朗】

村田さん、豊橋刑務支所の医師を3月に引退

 豊橋市春日町2の「村田小児歯科センター」の村田格一理事長(76)は37年間にわたり、名古屋刑務所豊橋刑務支所で受刑者の歯の治療を続け、3月31日に引退した。その歴史を語ってもらった。
 1973年に愛知学院大学歯学部卒、81年に村田小児歯科を開業した。87年7月、名古屋刑務所に勤務している友人から要請を受けた。
 当時、支所では業務していた歯科医師が高齢のため引退し、後任を探していた。しかし、無給であることなどが条件のため、難航していた。村田理事長は「誰かの役に立ちたい」と考え、社会貢献の一環として引き受けた。
 支所は診察室を含めて改築工事中だった。村田理事長は自身の仕事をしながら、必要な医療器具を選んだ。その後、施設の工事を終えて受刑者の収容が再開し、10月から診察業務を始めた。
 村田理事長は「どこから治せばいいか迷った時もあったが、受刑者が苦痛を感じる歯を優先的に治すことを心掛けた」と振り返る。治療行為に制限がある中、一日3~4人を診察した。同時に医務課職員に治療に関する指導もしてきた。
 19年間無給だったが、2006年に名古屋刑務所の人事簿に登録され、有給になった。その後、法務大臣表彰など数多くの賞が贈られた。17年には支所が女性施設に変わったが、治療を続けた。また、本を通して広い社会の一端を開いてほしいと、これまでに約7000冊を寄贈した。
 支所は村田理事長の年齢などを考え、次の医師を受け入れることにした。3月28日、最後の診察のため訪れた村田理事長へ長年にわたる貢献に対し、支所長から感謝状が贈られた。
 村田理事長は「ここでの活動は日常生活の一部になっていた。もう少し続けたい気持ちもあった。これからも、仕事を通じて社会の役に立つことをしたい」と笑顔で話した。
【林大二朗】

37年間の活動を振り返る村田理事長=村田小児歯科センターで
37年間の活動を振り返る村田理事長=村田小児歯科センターで
支所長からの感謝状を受け取る村田理事長(左から3番目、提供)
支所長からの感謝状を受け取る村田理事長(左から3番目、提供)

カテゴリー:社会・経済

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