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地元で心に残る大記録

カテゴリー:スポーツ

仲間にシャワーで祝福される寺部選手㊥=豊橋市民球場で
仲間にシャワーで祝福される寺部選手㊥=豊橋市民球場で
生還し、ハイタッチで迎えられる寺部選手㊨=同
生還し、ハイタッチで迎えられる寺部選手㊨=同

女子プロ野球の寺部選手

 地元が誇るスター選手として、寺部選手が観衆を前にお立ち台に上がった。慣れ親しんだ東三河で、記念すべき大記録を達成した。
 打者一巡の猛攻で一挙10点を奪った4回だった。2死一塁、この回2度目の打席に入った寺部選手は、外角ストレートを振り抜いた。逆方向に飛んだボールは右中間を破り、一塁走者の里投手が一気に生還。このタイムリーで、プロ5年目で通算100打点を達成した。リーグ首位・京都の反撃の芽を封じる一打にもなった。
 年間60試合ほどの女子プロ野球で、100打点達成は一流選手の仲間入りを果たしたと言える。「地元の皆さんの声援が本当に力になった。いい一日、いい思い出になった」と振り返った。
 寺部選手は小学5年生の時、豊川イーグルスの投手として豊橋市民球場での豊橋リーグ決勝に出場。好投でチームを優勝に導いた。その時以来の豊橋での試合で、家族や古巣の後輩たちも応援に駆け付けた。豊川イーグルスの太田響己(ひびき)君(牛久保小6)も「盗塁を刺す時に味方がタッチしやすいボールを投げていて、同じ捕手として参考になった」と話していた。
 寺部選手は豊川市立代田中学を卒業後、埼玉県の花咲徳栄高校、尚美学園大学で野球に打ち込んできた。この日、好投をリードしたエース里投手と共に日本代表として女子W杯にも出場するなど、世界の舞台でも活躍してきた。
 女子プロ野球を盛り上げるため、仲間たちとファンとの交流イベントを考案するなどグラウンド外でも奮闘。球場周辺ではアトラクションやグッズ販売があり、試合後には選手による野球教室や写真撮影会が行われた。寺部選手もサイン会でファンと触れ合った。「女子野球はまだまだ発展していかなくてはいけない。もっと広められるように頑張りたい」。地元での一戦を機に、改めて使命感を胸に刻んだ。
(由本裕貴)

女子プロ野球の寺部選手

 地元が誇るスター選手として、寺部選手が観衆を前にお立ち台に上がった。慣れ親しんだ東三河で、記念すべき大記録を達成した。
 打者一巡の猛攻で一挙10点を奪った4回だった。2死一塁、この回2度目の打席に入った寺部選手は、外角ストレートを振り抜いた。逆方向に飛んだボールは右中間を破り、一塁走者の里投手が一気に生還。このタイムリーで、プロ5年目で通算100打点を達成した。リーグ首位・京都の反撃の芽を封じる一打にもなった。
 年間60試合ほどの女子プロ野球で、100打点達成は一流選手の仲間入りを果たしたと言える。「地元の皆さんの声援が本当に力になった。いい一日、いい思い出になった」と振り返った。
 寺部選手は小学5年生の時、豊川イーグルスの投手として豊橋市民球場での豊橋リーグ決勝に出場。好投でチームを優勝に導いた。その時以来の豊橋での試合で、家族や古巣の後輩たちも応援に駆け付けた。豊川イーグルスの太田響己(ひびき)君(牛久保小6)も「盗塁を刺す時に味方がタッチしやすいボールを投げていて、同じ捕手として参考になった」と話していた。
 寺部選手は豊川市立代田中学を卒業後、埼玉県の花咲徳栄高校、尚美学園大学で野球に打ち込んできた。この日、好投をリードしたエース里投手と共に日本代表として女子W杯にも出場するなど、世界の舞台でも活躍してきた。
 女子プロ野球を盛り上げるため、仲間たちとファンとの交流イベントを考案するなどグラウンド外でも奮闘。球場周辺ではアトラクションやグッズ販売があり、試合後には選手による野球教室や写真撮影会が行われた。寺部選手もサイン会でファンと触れ合った。「女子野球はまだまだ発展していかなくてはいけない。もっと広められるように頑張りたい」。地元での一戦を機に、改めて使命感を胸に刻んだ。
(由本裕貴)

仲間にシャワーで祝福される寺部選手㊥=豊橋市民球場で
仲間にシャワーで祝福される寺部選手㊥=豊橋市民球場で
生還し、ハイタッチで迎えられる寺部選手㊨=同
生還し、ハイタッチで迎えられる寺部選手㊨=同

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