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豊橋で全国城下町シンポ「メインフォーラム」

加藤さん㊨、河合さんがパネリストを務めたメインフォーラム=プラットで
加藤さん㊨、河合さんがパネリストを務めたメインフォーラム=プラットで

 全国の城下町に住む青年らが集う第38回全国城下町シンポジウム豊橋大会(全国城下町青年会議所連絡協議会など主催、東愛知新聞社など後援)は最終日の30日、メインフォーラムが穂の国とよはし芸術劇場プラットで行われた。講演とパネルディスカッションがあり、パネリストの2人が城下町を生かした豊橋のまちづくりについて提案した。
 シンポは29日から、吉田城鉄櫓(くろがねやぐら)が残る豊橋公園などを会場に開催された。
 メインフォーラムでは「世界交流都市TOYOHASHIの原点 交通の要衝吉田城を振り返る」と題し、歴史研究家の河合敦さんが講演し、日本城郭協会理事の加藤理文さんとともにパネリストを務め、豊橋青年会議所の村井裕一郎理事長がコーディネーターとなった。
 江戸時代、教育に力を入れた吉田藩にならい、河合さんは「吉田城を市民が知り学ぶ機会を持ち、アピール力を高めてほしい」。講演で「陸上交通だけではなく海上交通も盛んだった吉田。城下町、宿場町、湊町のため多様性、国際性が高かった」と説明した河合さんは「いろいろな人を受け入れてきたのが豊橋。外国人を迎え入れるためにも、インスタグラムなどで海外に発信してほしい」と呼び掛けた。
 加藤さんは、前日に講演した日本城郭協会理事長の小和田哲男さん同様に吉田城が「大きな城だったという認識を持ってほしい」と強調。その上で「お城にとって、石垣が見えることは大事なこと。景観を阻んでいる木を間引き、櫓がどこからでも見えるようにすると、イメージが変わってくる。全国的にも珍しい水門も見えるようにする。木を間引き、お堀やお城などが見えるようにすれば」と提案した。
 また、河合さんは、豊橋の街について「城下町、宿場町とも思えない。空襲を受け、その後整備しすぎて景観が消えたとはいえ、昔ここにこういうものがあったという看板があってもいい」と言い、かつて点火具の火口(ほくち)で有名だった吉田に「火口など、伝統が切れてしまったもの、昔のものを復活させては」と今後の豊橋に必要な点も助言した。
(中村晋也)

 全国の城下町に住む青年らが集う第38回全国城下町シンポジウム豊橋大会(全国城下町青年会議所連絡協議会など主催、東愛知新聞社など後援)は最終日の30日、メインフォーラムが穂の国とよはし芸術劇場プラットで行われた。講演とパネルディスカッションがあり、パネリストの2人が城下町を生かした豊橋のまちづくりについて提案した。
 シンポは29日から、吉田城鉄櫓(くろがねやぐら)が残る豊橋公園などを会場に開催された。
 メインフォーラムでは「世界交流都市TOYOHASHIの原点 交通の要衝吉田城を振り返る」と題し、歴史研究家の河合敦さんが講演し、日本城郭協会理事の加藤理文さんとともにパネリストを務め、豊橋青年会議所の村井裕一郎理事長がコーディネーターとなった。
 江戸時代、教育に力を入れた吉田藩にならい、河合さんは「吉田城を市民が知り学ぶ機会を持ち、アピール力を高めてほしい」。講演で「陸上交通だけではなく海上交通も盛んだった吉田。城下町、宿場町、湊町のため多様性、国際性が高かった」と説明した河合さんは「いろいろな人を受け入れてきたのが豊橋。外国人を迎え入れるためにも、インスタグラムなどで海外に発信してほしい」と呼び掛けた。
 加藤さんは、前日に講演した日本城郭協会理事長の小和田哲男さん同様に吉田城が「大きな城だったという認識を持ってほしい」と強調。その上で「お城にとって、石垣が見えることは大事なこと。景観を阻んでいる木を間引き、櫓がどこからでも見えるようにすると、イメージが変わってくる。全国的にも珍しい水門も見えるようにする。木を間引き、お堀やお城などが見えるようにすれば」と提案した。
 また、河合さんは、豊橋の街について「城下町、宿場町とも思えない。空襲を受け、その後整備しすぎて景観が消えたとはいえ、昔ここにこういうものがあったという看板があってもいい」と言い、かつて点火具の火口(ほくち)で有名だった吉田に「火口など、伝統が切れてしまったもの、昔のものを復活させては」と今後の豊橋に必要な点も助言した。
(中村晋也)

加藤さん㊨、河合さんがパネリストを務めたメインフォーラム=プラットで
加藤さん㊨、河合さんがパネリストを務めたメインフォーラム=プラットで

カテゴリー:社会・経済

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