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豊橋東高で学芸員の仕事知る図書館教養講座

講演する久住さん=豊橋東高校で
講演する久住さん=豊橋東高校で

 県立豊橋東高校(木下勝義校長)は、豊橋市美術博物館学芸員の久住祐一郎さん(34)を講師に図書館教養講座「博物館ではたらくということ=学芸員のシゴト」を同校で開いた。生徒たちが、豊橋の歴史を学ぶことや、キャリア教育の一環として「学芸員の仕事」に触れるのを目的に実施した。
 久住さんは、同市二川宿本陣資料館学芸員を経て現職。「博物館って何するところ?」「学芸員って何する人?」「学芸員になるには?」など、博物館と学芸員の関係について説明した後、三河吉田藩やその参勤交代について解説した。
 江戸時代後期の吉田藩主は大河内松平氏で、参勤交代の実務担当だった藩士の大嶋左源太が残した「大嶋家文書」には1841(天保12)年の参勤交代の詳細な記録があり、お供の総勢345人のうち、正規の藩士は56人だったという。
 見栄えをよくするためアルバイトでの人員を確保し、道中で献上品を受け取ると、それ以上のものを返さなくてはならないため初めから受け取らないことや、1日の移動距離が10里(約40㌔)だったこと、殿様の駕籠(かご)を担ぐ人は“イケメン”で体格が立派なことが条件で給料は低い人の2倍だったことを話すと、生徒たちが爆笑する場面もあった。
 また、吉田藩に「おらが殿様」のイメージがないのは、藩主が幕府要職就任などにより吉田を不在にする期間が長かったことや、藩主家の転封が多く(9家22代)、吉田に藩主の墓がないことを理由に挙げた。
 久住さんは「豊橋市の記章は吉田藩に由来しているので、歴史に興味を持ってほしい」と呼び掛けた。
(小島幸子)

 県立豊橋東高校(木下勝義校長)は、豊橋市美術博物館学芸員の久住祐一郎さん(34)を講師に図書館教養講座「博物館ではたらくということ=学芸員のシゴト」を同校で開いた。生徒たちが、豊橋の歴史を学ぶことや、キャリア教育の一環として「学芸員の仕事」に触れるのを目的に実施した。
 久住さんは、同市二川宿本陣資料館学芸員を経て現職。「博物館って何するところ?」「学芸員って何する人?」「学芸員になるには?」など、博物館と学芸員の関係について説明した後、三河吉田藩やその参勤交代について解説した。
 江戸時代後期の吉田藩主は大河内松平氏で、参勤交代の実務担当だった藩士の大嶋左源太が残した「大嶋家文書」には1841(天保12)年の参勤交代の詳細な記録があり、お供の総勢345人のうち、正規の藩士は56人だったという。
 見栄えをよくするためアルバイトでの人員を確保し、道中で献上品を受け取ると、それ以上のものを返さなくてはならないため初めから受け取らないことや、1日の移動距離が10里(約40㌔)だったこと、殿様の駕籠(かご)を担ぐ人は“イケメン”で体格が立派なことが条件で給料は低い人の2倍だったことを話すと、生徒たちが爆笑する場面もあった。
 また、吉田藩に「おらが殿様」のイメージがないのは、藩主が幕府要職就任などにより吉田を不在にする期間が長かったことや、藩主家の転封が多く(9家22代)、吉田に藩主の墓がないことを理由に挙げた。
 久住さんは「豊橋市の記章は吉田藩に由来しているので、歴史に興味を持ってほしい」と呼び掛けた。
(小島幸子)

講演する久住さん=豊橋東高校で
講演する久住さん=豊橋東高校で

カテゴリー:社会・経済

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