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豊川の国府高生徒「聖火つなぎたい」

五輪記念プレートに手を触れる豊田さん㊨と中島さん=国府高校で
五輪記念プレートに手を触れる豊田さん㊨と中島さん=国府高校で
昭和39年の聖火リレーの参加者。右端が中島さん(豊川市立西部中卒業アルバムより)
昭和39年の聖火リレーの参加者。右端が中島さん(豊川市立西部中卒業アルバムより)

 豊川市の県立国府高校(水野智久校長)2年の豊田萌さん(17)が、来年の東京五輪の聖火ランナーに応募した。採用された場合、同校OBで1964(昭和39)年の東京五輪の時に聖火ランナーを務めた中島剛さん(70)も一緒に走る予定で、五輪に縁のある100年という同校の歴史と伝統を胸に吉報を待つ。
 県が募集したランナーは22人で、一人の走行距離は約200㍍。提出した自己PR・応募動機の文章などで審査され、12月以降に選定結果が通知される。
 来年度で創立100周年の国府高校は、55年前の聖火リレーで同校OBらがランナーを務め、陸上部出身の中森康弘氏が日本オリンピック委員会(JOC)国際部長として来年の東京五輪招致に貢献したことも踏まえ、記念事業の一環で生徒にリレーへの挑戦者を募集。その結果、豊田さんが名乗りを上げた。
 美術部だが「幼い頃から運動をするのが好き」と言う豊田さん。選定されたら、55年前に伴走者の一人を務め、同校第24代校長でもある中島さんと共に参加するつもりで、応募書類にも「先輩と一緒に走ることで過去から現在に聖火をつなぎたい」「創立100周年で聖火をつなげることは奇跡だと思う」と熱い思いをつづった。
 先月の文化祭の演劇では、中島さんら聖火ランナーや、いまも国旗掲揚塔に埋め込まれた五輪マークの記念プレートといった歴史が紹介された。豊田さんは「自分が走れば、また次の世代に経験と伝統を伝えられる」とも話す。
 選定された場合のコースは未定だが、来年4月7日に豊川市を通る聖火リレー。中島さんは「伝統をつなごうとする後輩がいることがうれしい。地元で一緒に走れたら最高ですね」と見据える。
(由本裕貴)

 豊川市の県立国府高校(水野智久校長)2年の豊田萌さん(17)が、来年の東京五輪の聖火ランナーに応募した。採用された場合、同校OBで1964(昭和39)年の東京五輪の時に聖火ランナーを務めた中島剛さん(70)も一緒に走る予定で、五輪に縁のある100年という同校の歴史と伝統を胸に吉報を待つ。
 県が募集したランナーは22人で、一人の走行距離は約200㍍。提出した自己PR・応募動機の文章などで審査され、12月以降に選定結果が通知される。
 来年度で創立100周年の国府高校は、55年前の聖火リレーで同校OBらがランナーを務め、陸上部出身の中森康弘氏が日本オリンピック委員会(JOC)国際部長として来年の東京五輪招致に貢献したことも踏まえ、記念事業の一環で生徒にリレーへの挑戦者を募集。その結果、豊田さんが名乗りを上げた。
 美術部だが「幼い頃から運動をするのが好き」と言う豊田さん。選定されたら、55年前に伴走者の一人を務め、同校第24代校長でもある中島さんと共に参加するつもりで、応募書類にも「先輩と一緒に走ることで過去から現在に聖火をつなぎたい」「創立100周年で聖火をつなげることは奇跡だと思う」と熱い思いをつづった。
 先月の文化祭の演劇では、中島さんら聖火ランナーや、いまも国旗掲揚塔に埋め込まれた五輪マークの記念プレートといった歴史が紹介された。豊田さんは「自分が走れば、また次の世代に経験と伝統を伝えられる」とも話す。
 選定された場合のコースは未定だが、来年4月7日に豊川市を通る聖火リレー。中島さんは「伝統をつなごうとする後輩がいることがうれしい。地元で一緒に走れたら最高ですね」と見据える。
(由本裕貴)

五輪記念プレートに手を触れる豊田さん㊨と中島さん=国府高校で
五輪記念プレートに手を触れる豊田さん㊨と中島さん=国府高校で
昭和39年の聖火リレーの参加者。右端が中島さん(豊川市立西部中卒業アルバムより)
昭和39年の聖火リレーの参加者。右端が中島さん(豊川市立西部中卒業アルバムより)

カテゴリー:社会・経済

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