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貴重な足利義詮ら直筆書状も

秀吉の書状を解説する山田教授=豊橋市中央図書館で
秀吉の書状を解説する山田教授=豊橋市中央図書館で

 豊橋市図書館は、同市の羽田八幡宮で行った「羽田八幡宮文庫」旧蔵資料の所有者確認等調査で、織田信長、豊臣秀吉らの書状5点、後奈良天皇らの直筆文書3点の計8点が同文庫の旧蔵資料であり、武将の書状5点は本物であることを6日発表した。
 羽田八幡宮文庫は1848(嘉永元)年、羽田八幡宮神主の羽田野敬雄や地元町人らが設立した、日本最古級となる貸し出しを行う近代的図書館の先駆けとして知られる私設文庫。1907(明治40)年ごろ閉鎖され蔵書は売却されたが、11年ごろに神主を兼任する大木聟治が約9200冊を回収。市が旧蔵書を買い取り、13(大正2)年に豊橋市図書館が開館した。
 所有者確認等調査は、文庫旧蔵資料を市の文化財に指定すべく8月に実施。今回確認した書状は、文庫閉鎖時に売却されず宝物として羽田八幡宮に一部移管され、「神宝」として宝庫に所蔵されていた。1963(昭和38)年に東京大学が調査しているものの、地元では存在を知られていなかった。
 武将の書状のうち、足利義詮の書状は、今まで源頼朝のものとされていたが、今回、義詮の貴重な直筆であることが判明。信長の朱印状は石山本願寺攻めの時の家臣の反乱に対する指令書。秀吉の書状は朝鮮出兵について宇喜多秀家や細川忠興らにあてた覚えで、明国を攻めに行くための状況が読み取れるという。
 貴重な書状を同文庫が所蔵していたのは、吉田藩家老の倉垣家、和田家が同文庫に奉納したからで、町民が作った私設文庫で武将書状や天皇の書を所蔵していたのは全国的にも稀(まれ)な例といい、「羽田八幡宮文庫が庶民だけではなく、吉田藩主や藩士からも信頼されていることが分かる」と同館の岩瀬彰利専門員は話している。
(田中博子)

 豊橋市図書館は、同市の羽田八幡宮で行った「羽田八幡宮文庫」旧蔵資料の所有者確認等調査で、織田信長、豊臣秀吉らの書状5点、後奈良天皇らの直筆文書3点の計8点が同文庫の旧蔵資料であり、武将の書状5点は本物であることを6日発表した。
 羽田八幡宮文庫は1848(嘉永元)年、羽田八幡宮神主の羽田野敬雄や地元町人らが設立した、日本最古級となる貸し出しを行う近代的図書館の先駆けとして知られる私設文庫。1907(明治40)年ごろ閉鎖され蔵書は売却されたが、11年ごろに神主を兼任する大木聟治が約9200冊を回収。市が旧蔵書を買い取り、13(大正2)年に豊橋市図書館が開館した。
 所有者確認等調査は、文庫旧蔵資料を市の文化財に指定すべく8月に実施。今回確認した書状は、文庫閉鎖時に売却されず宝物として羽田八幡宮に一部移管され、「神宝」として宝庫に所蔵されていた。1963(昭和38)年に東京大学が調査しているものの、地元では存在を知られていなかった。
 武将の書状のうち、足利義詮の書状は、今まで源頼朝のものとされていたが、今回、義詮の貴重な直筆であることが判明。信長の朱印状は石山本願寺攻めの時の家臣の反乱に対する指令書。秀吉の書状は朝鮮出兵について宇喜多秀家や細川忠興らにあてた覚えで、明国を攻めに行くための状況が読み取れるという。
 貴重な書状を同文庫が所蔵していたのは、吉田藩家老の倉垣家、和田家が同文庫に奉納したからで、町民が作った私設文庫で武将書状や天皇の書を所蔵していたのは全国的にも稀(まれ)な例といい、「羽田八幡宮文庫が庶民だけではなく、吉田藩主や藩士からも信頼されていることが分かる」と同館の岩瀬彰利専門員は話している。
(田中博子)

秀吉の書状を解説する山田教授=豊橋市中央図書館で
秀吉の書状を解説する山田教授=豊橋市中央図書館で

カテゴリー:社会・経済

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