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豊橋の深田古窯址群で「瓦塔」出土

窯跡から見つかった瓦塔の一部(市文化財センター提供)
窯跡から見つかった瓦塔の一部(市文化財センター提供)
馬形の焼き物「陶馬」(同)
馬形の焼き物「陶馬」(同)

 豊橋市東細谷町深田の深田古窯址群で発掘調査を進めている豊橋市文化財センターは、奈良時代頃、8世紀後半の窯跡「深田D古窯」から五重塔を模した焼き物「瓦塔(がとう)」が見つかったと発表した。瓦塔が発掘調査で窯跡から出土するのは東三河初で、豊橋が生産地だったことが分かる。18日に現地説明会を開く。
 静岡県湖西市境に近い深田古窯址群は、湖西市から豊橋市にかけて広がる「湖西古窯跡群」に属する。工業用地造成に伴う緊急発掘調査が、記録保存のため実施されている。
 湖西古窯跡群は6~9世紀頃に須恵器を生産、約370基の窯跡が確認され、一大生産地だったと考えられている。豊橋市側は、細谷・二川地区に約70基あるという。作られた製品は関東、東北、関西に流通していた。
 深田古窯址群の発掘調査では今回、深田D古窯から高さ1~2㍍の五重塔を模した瓦塔の屋根や土台の一部が見つかった。粘土を焼き固めて作った馬形の焼き物で10~20㌢ほどの大きさの「陶馬(とうば)」も出土した。厄払いなど祭祀に用いられた。窯跡から見つかる事例は少ないという。
 瓦塔は、寺院や墳墓からよく出土。東三河や遠江でも遺跡から出ている。窯跡から出土したことで、文化財センターは「どこで作られていたか分からなかった瓦塔だが、生産場所の一つが分かったのは意義深い」と話す。
 今回の発掘調査では、深田D古窯に近い場所で新たな窯跡「深田G古窯」も発見された。奈良時代頃の須恵器の窯で、天井部が崩落せず、トンネル状の窯の構造が珍しく残り、良好な状態だった。失敗品や灰を捨てた灰原もあり、窯全体の様子がよく分かるという。

きょう現地説明会

 現地説明会は午前10時半と午後2時で、いずれも1時間程度。雨天中止。現地へ直接行く。中止の場合は市美術博物館ホームページで知らせる。
(中村晋也)

 豊橋市東細谷町深田の深田古窯址群で発掘調査を進めている豊橋市文化財センターは、奈良時代頃、8世紀後半の窯跡「深田D古窯」から五重塔を模した焼き物「瓦塔(がとう)」が見つかったと発表した。瓦塔が発掘調査で窯跡から出土するのは東三河初で、豊橋が生産地だったことが分かる。18日に現地説明会を開く。
 静岡県湖西市境に近い深田古窯址群は、湖西市から豊橋市にかけて広がる「湖西古窯跡群」に属する。工業用地造成に伴う緊急発掘調査が、記録保存のため実施されている。
 湖西古窯跡群は6~9世紀頃に須恵器を生産、約370基の窯跡が確認され、一大生産地だったと考えられている。豊橋市側は、細谷・二川地区に約70基あるという。作られた製品は関東、東北、関西に流通していた。
 深田古窯址群の発掘調査では今回、深田D古窯から高さ1~2㍍の五重塔を模した瓦塔の屋根や土台の一部が見つかった。粘土を焼き固めて作った馬形の焼き物で10~20㌢ほどの大きさの「陶馬(とうば)」も出土した。厄払いなど祭祀に用いられた。窯跡から見つかる事例は少ないという。
 瓦塔は、寺院や墳墓からよく出土。東三河や遠江でも遺跡から出ている。窯跡から出土したことで、文化財センターは「どこで作られていたか分からなかった瓦塔だが、生産場所の一つが分かったのは意義深い」と話す。
 今回の発掘調査では、深田D古窯に近い場所で新たな窯跡「深田G古窯」も発見された。奈良時代頃の須恵器の窯で、天井部が崩落せず、トンネル状の窯の構造が珍しく残り、良好な状態だった。失敗品や灰を捨てた灰原もあり、窯全体の様子がよく分かるという。

きょう現地説明会

 現地説明会は午前10時半と午後2時で、いずれも1時間程度。雨天中止。現地へ直接行く。中止の場合は市美術博物館ホームページで知らせる。
(中村晋也)

窯跡から見つかった瓦塔の一部(市文化財センター提供)
窯跡から見つかった瓦塔の一部(市文化財センター提供)
馬形の焼き物「陶馬」(同)
馬形の焼き物「陶馬」(同)

カテゴリー:社会・経済

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