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終戦直前の悲劇

P51戦闘機の写真などで事件を説明する山田さん=豊川市平和交流館で
P51戦闘機の写真などで事件を説明する山田さん=豊川市平和交流館で
奇跡的に生き延びた事件を振り返る彦坂登さん
奇跡的に生き延びた事件を振り返る彦坂登さん

渥美線機銃掃射を聴く

 豊川市平和公園内の平和交流館で31日、終戦直前に現在の田原市内で起きた渥美線機銃掃射の体験談を聴く会があり、約40人が参加した。体験者や研究者が戦争の悲劇を語った。
 渥美線機銃掃射は終戦前日の1945(昭和20)年8月14日に起きた。車両を米軍機が銃撃し、乗客や車掌31人が死傷した。資料が少なく、地元の研究者が体験者らへの聞き取りで事実関係を解明している。
 元教員の山田政俊さん(76)はサイパン陥落後から米軍機が日本本土を空襲するようになり、それが渥美線の事件につながったなどと時代背景を解説。そして、当時中学生で九死に一生を得た彦坂登さん(88)が攻撃を受けた時の生々しい光景を証言し「生きて家には帰れないと思った。米軍のP51が海へ飛び去ったのを確認した時は安心した」と振り返った。
 また、大勢の負傷者が運び込まれた渥美病院で看護師をしていた河合アヤエさんの手記が朗読された。背中を負傷して亡くなった男の子が治療を受けている際に両手を上げて「天皇陛下、万歳!」と叫んだり、両足を失い絶命した幼児に水もあげられなかったりした苦悩が紹介された。
 最後は、事件で同級生を失った彦坂昭市さん(89)が絵を描いて作った紙芝居を披露。事件を知る約50人への聞き取りを基に作ったストーリーに、参加者から拍手が送られた。
【由本裕貴】

渥美線機銃掃射を聴く

 豊川市平和公園内の平和交流館で31日、終戦直前に現在の田原市内で起きた渥美線機銃掃射の体験談を聴く会があり、約40人が参加した。体験者や研究者が戦争の悲劇を語った。
 渥美線機銃掃射は終戦前日の1945(昭和20)年8月14日に起きた。車両を米軍機が銃撃し、乗客や車掌31人が死傷した。資料が少なく、地元の研究者が体験者らへの聞き取りで事実関係を解明している。
 元教員の山田政俊さん(76)はサイパン陥落後から米軍機が日本本土を空襲するようになり、それが渥美線の事件につながったなどと時代背景を解説。そして、当時中学生で九死に一生を得た彦坂登さん(88)が攻撃を受けた時の生々しい光景を証言し「生きて家には帰れないと思った。米軍のP51が海へ飛び去ったのを確認した時は安心した」と振り返った。
 また、大勢の負傷者が運び込まれた渥美病院で看護師をしていた河合アヤエさんの手記が朗読された。背中を負傷して亡くなった男の子が治療を受けている際に両手を上げて「天皇陛下、万歳!」と叫んだり、両足を失い絶命した幼児に水もあげられなかったりした苦悩が紹介された。
 最後は、事件で同級生を失った彦坂昭市さん(89)が絵を描いて作った紙芝居を披露。事件を知る約50人への聞き取りを基に作ったストーリーに、参加者から拍手が送られた。
【由本裕貴】

P51戦闘機の写真などで事件を説明する山田さん=豊川市平和交流館で
P51戦闘機の写真などで事件を説明する山田さん=豊川市平和交流館で
奇跡的に生き延びた事件を振り返る彦坂登さん
奇跡的に生き延びた事件を振り返る彦坂登さん

カテゴリー:社会・経済

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