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吉田城本丸御殿の模型 豊橋で一般公開

吉田城本丸御殿の模型と製作した竹本さん=豊橋共同職業訓練協会で
吉田城本丸御殿の模型と製作した竹本さん=豊橋共同職業訓練協会で

 吉田城の再建を目指しているNPO法人「吉田城復元築城をめざす会」(木戸珠造理事長)は、かつて徳川将軍が宿泊したという同城の本丸御殿の模型を作成、豊橋市前田南町の豊橋共同職業訓練協会で6日から一般公開を始めた。9日まで。
 吉田城再建の気運を高めようと、同会会員で模型作りが得意な大工・竹本充宏さん=豊橋市=が仕事の合間を使い、2年余りかけてつくった。
 大きさは約14分の1。当時の詳細な図面はなく、簡単な絵図が残っているだけであり、名古屋城本丸御殿などを参考にした。
 模型は、将軍が大名らと対面する「御白書院」、大名らが対面を待つために待機する「御広間」、将軍が就寝したり食事をとる「御黒書院」、台所の4つの建物からなり、高さは1㍍、広さは2・9㍍×2・7㍍。屋根もそっており、神社のように立派なつくりとなっている。
 吉田城本丸御殿は1622(元和8)年に、将軍が江戸から京都へ上洛する際の宿泊するための御殿として建造され、2代将軍の秀忠、3代将軍の家光が宿泊したとの記録が残っている。1707年の宝永地震で倒壊した。現在の隅櫓がある前の本丸広場に建っていた。
 模型をつくった竹本さんは「屋根の装飾にこだわりました。細かな作業が大変でした」、同会広報局担当の佐々木豊さんは「模型が吉田城に興味を持ってもらうきっかけづくりとなり、城の再建の気運を盛り上げたい」と話していた。
(竹下貴信)

 吉田城の再建を目指しているNPO法人「吉田城復元築城をめざす会」(木戸珠造理事長)は、かつて徳川将軍が宿泊したという同城の本丸御殿の模型を作成、豊橋市前田南町の豊橋共同職業訓練協会で6日から一般公開を始めた。9日まで。
 吉田城再建の気運を高めようと、同会会員で模型作りが得意な大工・竹本充宏さん=豊橋市=が仕事の合間を使い、2年余りかけてつくった。
 大きさは約14分の1。当時の詳細な図面はなく、簡単な絵図が残っているだけであり、名古屋城本丸御殿などを参考にした。
 模型は、将軍が大名らと対面する「御白書院」、大名らが対面を待つために待機する「御広間」、将軍が就寝したり食事をとる「御黒書院」、台所の4つの建物からなり、高さは1㍍、広さは2・9㍍×2・7㍍。屋根もそっており、神社のように立派なつくりとなっている。
 吉田城本丸御殿は1622(元和8)年に、将軍が江戸から京都へ上洛する際の宿泊するための御殿として建造され、2代将軍の秀忠、3代将軍の家光が宿泊したとの記録が残っている。1707年の宝永地震で倒壊した。現在の隅櫓がある前の本丸広場に建っていた。
 模型をつくった竹本さんは「屋根の装飾にこだわりました。細かな作業が大変でした」、同会広報局担当の佐々木豊さんは「模型が吉田城に興味を持ってもらうきっかけづくりとなり、城の再建の気運を盛り上げたい」と話していた。
(竹下貴信)

吉田城本丸御殿の模型と製作した竹本さん=豊橋共同職業訓練協会で
吉田城本丸御殿の模型と製作した竹本さん=豊橋共同職業訓練協会で

カテゴリー:社会・経済

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