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豊川の女性 家族のコロナ闘病記

 家族に新型コロナウイルスが広まり、不自由な生活を余儀なくされた人は多いはず。豊川市に住む女性が、その体験を東愛知新聞に寄せた。家族も本人も、ウイルス検査で陰性となったのに、その後に相次いで発症したという。「陰性でも過信しないで」と訴える。

陰性=安心ではない

 私は高校生の娘、中学生の息子、小学生の息子の3人の子どもの母である。
勤務先の子どもたちにポツポツと陽性者が出始めたのは2月初旬。なんとなく体調に不安を感じながら過ごしていた。9日、のどに軽い違和感があったため、市販の抗原検査薬を試したところ「陰性」だった。ほっとしたが、翌日には体のだるさを感じ、もう一度検査をすることにした。
 のどの奥まで検査薬をつっこみ、しっかりと唾液もとったが「陰性」。「ただの風邪だ、寝て治そう」と考えてしまった。
 この時に病院にかかり、PCR検査などをしっかりと受けるべきだったと今でも後悔をしている。「検査の『陰性』は、新型コロナウイルスに感染していないことを証明するものではありません」と説明書にも書いてある。それでも、安心したいという心理は誰にでもある。「陰性」と出れば安心して外に行き、感染を広めてしまう可能性は誰にでもあるのではないだろうか? 今は検査ビジネスが大はやりだが、「陰性」=「安心」ではないのだ。
 その後は軽い鼻水や咳などがあるものの、普通に過ごしていた。14日、夫が37・5度の発熱。同様に検査キットを試したところ「陰性」。私はコロナの可能性は露ほども考えず「良かったね。明日は仕事に行くの?」などとのんきなことを言っていた。夫は「念のため検査に行くよ。陰性だったら、午後から仕事に行くし」と言った。

 翌15日、夫は近所の病院に出かけて行った。そこは、コロナの抗原検出検査というのをやってくれた。鼻から検体をとるタイプである。仕事に行く準備をしていた私のところに「陽性だった」と夫から電話が入る。まさに青天のへきれきであった。
 すぐに仕事をキャンセルし、学校に行ってしまった子どもたちを家に帰した。帰宅した子どもたちと私で検査にいったところ、私のみ「陽性」。子どもたちは「陰性」。すぐに子どもたちを祖父母が住む母屋に避難させた。私たち陽性者は離れ。完全に隔離ができる環境だったのはありがたかった。子どもたちは自分たちが陰性だったので、大喜び。祖父母の家に遊びにいった気分で、3人で仲良く過ごしていた。

 ところが16日、長女がのどの痛みを訴える。検温すると37・5度。昼に検査に行ったが、結果は「陰性」。さすがにもう、安心はできなかった。長女は泣きながら母屋から離れに引っ越してきた。私たちは長女の「陰性」の可能性も考えながら感染症対策をしながら長女と過ごした。長女は2日後の午前中に「陽性」が確定した。
 18日、今度は次男がのどの痛みを訴える。37・7度の発熱。さすがにすぐには検査に行かずに様子をみていたら、午後から39・4度まで上がった。そこで検査にいくと「陽性」。やはり、という感じであった。陰性だと思い込んでいた姉からの感染であろう。予防接種を受けていなかった次男が一番症状が重く、その日は一日中ぐったり。少し食べたおかゆも全部吐いてしまった。
 これを書いているのは21日。それぞれに風邪症状や体のだるさが続いているものの、みんな元気にしている。私たちは軽症だったと思うが、「普通の風邪と変わらない」なんてとても言えない。

 コロナになって一番つらかったことは「誰かに感染させたのではないか?」「その人が重症化したらどうしよう?」という心理的な恐怖だ。現在は濃厚接触者の特定もしないので、自発的に接触があった人に連絡をとって症状の確認をしていた。毎日生きた心地がしなかった。誰も私を責めないのだが、自分で自分を責め、一人さめざめと泣いていた。私と接した人たちに最悪の事態が生じたらどうやって償えばいいのか? 償うことなどできないのに…。

 今回の体験で伝えたいことはただ一つ。検査が無意味だとは言わないが「陰性」=「安心」ではないこと。気軽に検査を受けられる状況にするべきだという人もいるが、検査の過信は危険すぎる。全員検査をして「陰性」だったから、マスクをとって会食するイベントなんて言語道断だ。わが家の状況でいうと陽性が確定する前に感染が起きている。陽性が確定してから隔離をし、感染症対策を徹底しても遅かったのだ。

 感染を防ぐにはみんなが「自分は陽性者かもしれない」という自覚をもって生活をするしかないんじゃないか? と思う。家庭内であっても「皿や箸、タオルを共有しない」「せきが出る時はマスクをする」「手指消毒はこまめにする」といったことを気をつけてほしい。まだまだ不自由な生活が続きそうだが、感染対策は「人に感染させる可能性を減らすためにするもの」である。大切な人を守るために、今しばらく耐えてほしい。

 家族に新型コロナウイルスが広まり、不自由な生活を余儀なくされた人は多いはず。豊川市に住む女性が、その体験を東愛知新聞に寄せた。家族も本人も、ウイルス検査で陰性となったのに、その後に相次いで発症したという。「陰性でも過信しないで」と訴える。

陰性=安心ではない

 私は高校生の娘、中学生の息子、小学生の息子の3人の子どもの母である。
勤務先の子どもたちにポツポツと陽性者が出始めたのは2月初旬。なんとなく体調に不安を感じながら過ごしていた。9日、のどに軽い違和感があったため、市販の抗原検査薬を試したところ「陰性」だった。ほっとしたが、翌日には体のだるさを感じ、もう一度検査をすることにした。
 のどの奥まで検査薬をつっこみ、しっかりと唾液もとったが「陰性」。「ただの風邪だ、寝て治そう」と考えてしまった。
 この時に病院にかかり、PCR検査などをしっかりと受けるべきだったと今でも後悔をしている。「検査の『陰性』は、新型コロナウイルスに感染していないことを証明するものではありません」と説明書にも書いてある。それでも、安心したいという心理は誰にでもある。「陰性」と出れば安心して外に行き、感染を広めてしまう可能性は誰にでもあるのではないだろうか? 今は検査ビジネスが大はやりだが、「陰性」=「安心」ではないのだ。
 その後は軽い鼻水や咳などがあるものの、普通に過ごしていた。14日、夫が37・5度の発熱。同様に検査キットを試したところ「陰性」。私はコロナの可能性は露ほども考えず「良かったね。明日は仕事に行くの?」などとのんきなことを言っていた。夫は「念のため検査に行くよ。陰性だったら、午後から仕事に行くし」と言った。

 翌15日、夫は近所の病院に出かけて行った。そこは、コロナの抗原検出検査というのをやってくれた。鼻から検体をとるタイプである。仕事に行く準備をしていた私のところに「陽性だった」と夫から電話が入る。まさに青天のへきれきであった。
 すぐに仕事をキャンセルし、学校に行ってしまった子どもたちを家に帰した。帰宅した子どもたちと私で検査にいったところ、私のみ「陽性」。子どもたちは「陰性」。すぐに子どもたちを祖父母が住む母屋に避難させた。私たち陽性者は離れ。完全に隔離ができる環境だったのはありがたかった。子どもたちは自分たちが陰性だったので、大喜び。祖父母の家に遊びにいった気分で、3人で仲良く過ごしていた。

 ところが16日、長女がのどの痛みを訴える。検温すると37・5度。昼に検査に行ったが、結果は「陰性」。さすがにもう、安心はできなかった。長女は泣きながら母屋から離れに引っ越してきた。私たちは長女の「陰性」の可能性も考えながら感染症対策をしながら長女と過ごした。長女は2日後の午前中に「陽性」が確定した。
 18日、今度は次男がのどの痛みを訴える。37・7度の発熱。さすがにすぐには検査に行かずに様子をみていたら、午後から39・4度まで上がった。そこで検査にいくと「陽性」。やはり、という感じであった。陰性だと思い込んでいた姉からの感染であろう。予防接種を受けていなかった次男が一番症状が重く、その日は一日中ぐったり。少し食べたおかゆも全部吐いてしまった。
 これを書いているのは21日。それぞれに風邪症状や体のだるさが続いているものの、みんな元気にしている。私たちは軽症だったと思うが、「普通の風邪と変わらない」なんてとても言えない。

 コロナになって一番つらかったことは「誰かに感染させたのではないか?」「その人が重症化したらどうしよう?」という心理的な恐怖だ。現在は濃厚接触者の特定もしないので、自発的に接触があった人に連絡をとって症状の確認をしていた。毎日生きた心地がしなかった。誰も私を責めないのだが、自分で自分を責め、一人さめざめと泣いていた。私と接した人たちに最悪の事態が生じたらどうやって償えばいいのか? 償うことなどできないのに…。

 今回の体験で伝えたいことはただ一つ。検査が無意味だとは言わないが「陰性」=「安心」ではないこと。気軽に検査を受けられる状況にするべきだという人もいるが、検査の過信は危険すぎる。全員検査をして「陰性」だったから、マスクをとって会食するイベントなんて言語道断だ。わが家の状況でいうと陽性が確定する前に感染が起きている。陽性が確定してから隔離をし、感染症対策を徹底しても遅かったのだ。

 感染を防ぐにはみんなが「自分は陽性者かもしれない」という自覚をもって生活をするしかないんじゃないか? と思う。家庭内であっても「皿や箸、タオルを共有しない」「せきが出る時はマスクをする」「手指消毒はこまめにする」といったことを気をつけてほしい。まだまだ不自由な生活が続きそうだが、感染対策は「人に感染させる可能性を減らすためにするもの」である。大切な人を守るために、今しばらく耐えてほしい。

カテゴリー:社会・経済

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