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新城の「名城」 案内看板が一新

更新された長篠城の看板=新城市長篠で
更新された長篠城の看板=新城市長篠で
縄張り図が入った概要図
縄張り図が入った概要図
古宮城跡に設置された表示板=新城市作手清岳で
古宮城跡に設置された表示板=新城市作手清岳で

 新城市内の二つの「名城」で案内看板が一新された。長篠城跡では国道沿いの看板や敷地内の概要図などを更新した。古宮城跡では地元中学生が手作りの表示板が設けた。
 長篠城は、1575年にあった「長篠・設楽原の戦い」など、徳川軍と武田軍による争奪戦が繰り広げられた。四方のうち南と西は崖、北と東は曲輪や土塁、堀を配置して防御力を高めた「後堅固(うしろけんご)の城」となっている。1929年に国史跡に指定され、2006年には日本城郭協会が日本100名城に選んだ。
 市は今年度、市町村合併の前から設置されていた看板と概要図、布陣図を更新した。国道151号沿いに立つ看板(縦2・7㍍、横3・6㍍)は、長篠・設楽原の戦いで、はりつけにされた鳥居強右衛門勝商(すねえもんかつあき)の絵を赤く塗り替えた。「日本百名城」の言葉を入れた。概要図(90㌢四方)は発掘調査(1999~2008年)の成果を基にした縄張り図を示した。布陣図(縦1・82㍍、横3・64㍍)は新東名高速道路など最新の情報を載せた。
 古宮城は1571年、奥平氏の監視のために、武田信玄の重臣、馬場美濃守信房が最前線基地として築いたとされる。丘陵の上に横堀と竪堀(たてぼり)があり、複雑に組み合わせた縄張りは東西250㍍、南北150㍍に及び小規模ながら巧妙な構造となっている。2017年に「続日本100名城」に選ばれ、18年9月27日に市史跡に指定された。
 現地では市立作手中学校の3年生15人が間伐材で作った表示板が設置された。1年生の時に林業体験で切り出した杉板(縦15㌢、横35㌢、厚さ2㌢)に「竪堀」や「桝形虎口」など場所を示す文字の焼印を入れた。
長篠城址史跡保存館と作手歴史民俗資料館で「御城印」を買い求める人が多いという。市の岩山欣司学芸員は「まん延防止重点措置が解除され、政府の観光支援事業の再開も見込まれる。史跡巡りを楽しんでもらえれば」と話している。
【安藤聡】

 新城市内の二つの「名城」で案内看板が一新された。長篠城跡では国道沿いの看板や敷地内の概要図などを更新した。古宮城跡では地元中学生が手作りの表示板が設けた。
 長篠城は、1575年にあった「長篠・設楽原の戦い」など、徳川軍と武田軍による争奪戦が繰り広げられた。四方のうち南と西は崖、北と東は曲輪や土塁、堀を配置して防御力を高めた「後堅固(うしろけんご)の城」となっている。1929年に国史跡に指定され、2006年には日本城郭協会が日本100名城に選んだ。
 市は今年度、市町村合併の前から設置されていた看板と概要図、布陣図を更新した。国道151号沿いに立つ看板(縦2・7㍍、横3・6㍍)は、長篠・設楽原の戦いで、はりつけにされた鳥居強右衛門勝商(すねえもんかつあき)の絵を赤く塗り替えた。「日本百名城」の言葉を入れた。概要図(90㌢四方)は発掘調査(1999~2008年)の成果を基にした縄張り図を示した。布陣図(縦1・82㍍、横3・64㍍)は新東名高速道路など最新の情報を載せた。
 古宮城は1571年、奥平氏の監視のために、武田信玄の重臣、馬場美濃守信房が最前線基地として築いたとされる。丘陵の上に横堀と竪堀(たてぼり)があり、複雑に組み合わせた縄張りは東西250㍍、南北150㍍に及び小規模ながら巧妙な構造となっている。2017年に「続日本100名城」に選ばれ、18年9月27日に市史跡に指定された。
 現地では市立作手中学校の3年生15人が間伐材で作った表示板が設置された。1年生の時に林業体験で切り出した杉板(縦15㌢、横35㌢、厚さ2㌢)に「竪堀」や「桝形虎口」など場所を示す文字の焼印を入れた。
長篠城址史跡保存館と作手歴史民俗資料館で「御城印」を買い求める人が多いという。市の岩山欣司学芸員は「まん延防止重点措置が解除され、政府の観光支援事業の再開も見込まれる。史跡巡りを楽しんでもらえれば」と話している。
【安藤聡】

更新された長篠城の看板=新城市長篠で
更新された長篠城の看板=新城市長篠で
縄張り図が入った概要図
縄張り図が入った概要図
古宮城跡に設置された表示板=新城市作手清岳で
古宮城跡に設置された表示板=新城市作手清岳で

カテゴリー:社会・経済

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