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徳川家ゆかり豊川の大恩寺 山門が築350年

県指定文化財の山門=大恩寺で
県指定文化財の山門=大恩寺で
寺に伝わる数々の宝物(非公開)
寺に伝わる数々の宝物(非公開)

 徳川家ゆかりの寺「大恩寺」(豊川市御津町広石)は、県指定有形文化財の「山門」や、国指定重要文化財の「曼陀羅(まんだら)図」で知られる。山門が今年、築350年を迎え注目されている。
 大恩寺の始まりは、同じ御津町にある新宮山の浄光院。1444(文安元)年に荒廃していた浄光院を再興して大運寺になった。90年に現在地に移転。寺の移転にあたって松平親忠(松平家第4代当主)の援助を受け、以来、松平家の保護を受けた。天文年間(1532~55年)には徳川家康の父、松平広忠により寺の建物が修復された。さらに親族が寺で僧になっている。この頃、松平家に大恩があることから、「大恩寺」に寺名を改めた。
 山門は1672年、大垣城主の戸田采女正が寄進した。戸田氏の夫人は牛久保の豪族、牧野家の娘。牧野家と寺に縁があったことから寄進につながったという。三間一戸の重層門で間口7・6㍍、奥行き4・4㍍と大型だ。1954年に瓦のふき替え、83年に柱や階段の修復をするなど後世へ伝えるための工事を定期的にしている。県内の大型重層門は大樹寺(岡崎市)、建中寺(名古屋市)などと少なく希少価値が高い。見学や写真撮影に訪れる歴史愛好者も多いという。
 寺には数々の宝物が伝わる。国重文で元で制作されたという曼陀羅図だけでなく、亀姫が寄進したという徳川家康の木像、家康の朱印状、今川義元と氏真の安堵(あんど)状などが残されている。非公開。
 住職の中島教英さん(62)は、「文化財を後世に引き継ぐため、火災や災害から守るために尽力しています」と話す。問い合わせは大恩寺(0533・75・2325)へ。
【竹下貴信】

 徳川家ゆかりの寺「大恩寺」(豊川市御津町広石)は、県指定有形文化財の「山門」や、国指定重要文化財の「曼陀羅(まんだら)図」で知られる。山門が今年、築350年を迎え注目されている。
 大恩寺の始まりは、同じ御津町にある新宮山の浄光院。1444(文安元)年に荒廃していた浄光院を再興して大運寺になった。90年に現在地に移転。寺の移転にあたって松平親忠(松平家第4代当主)の援助を受け、以来、松平家の保護を受けた。天文年間(1532~55年)には徳川家康の父、松平広忠により寺の建物が修復された。さらに親族が寺で僧になっている。この頃、松平家に大恩があることから、「大恩寺」に寺名を改めた。
 山門は1672年、大垣城主の戸田采女正が寄進した。戸田氏の夫人は牛久保の豪族、牧野家の娘。牧野家と寺に縁があったことから寄進につながったという。三間一戸の重層門で間口7・6㍍、奥行き4・4㍍と大型だ。1954年に瓦のふき替え、83年に柱や階段の修復をするなど後世へ伝えるための工事を定期的にしている。県内の大型重層門は大樹寺(岡崎市)、建中寺(名古屋市)などと少なく希少価値が高い。見学や写真撮影に訪れる歴史愛好者も多いという。
 寺には数々の宝物が伝わる。国重文で元で制作されたという曼陀羅図だけでなく、亀姫が寄進したという徳川家康の木像、家康の朱印状、今川義元と氏真の安堵(あんど)状などが残されている。非公開。
 住職の中島教英さん(62)は、「文化財を後世に引き継ぐため、火災や災害から守るために尽力しています」と話す。問い合わせは大恩寺(0533・75・2325)へ。
【竹下貴信】

県指定文化財の山門=大恩寺で
県指定文化財の山門=大恩寺で
寺に伝わる数々の宝物(非公開)
寺に伝わる数々の宝物(非公開)

カテゴリー:社会・経済

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