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豊橋空襲以前のまちなか地図見つかる

コピーした地図を手にする杉浦さん=東愛知新聞社で
コピーした地図を手にする杉浦さん=東愛知新聞社で
地図の一部。今とほぼ同じ場所に玉川うどん、勢川など
地図の一部。今とほぼ同じ場所に玉川うどん、勢川など

杉浦薬局社長の父ら手書きで1963年作製

 1945年6月に起きた「豊橋空襲」以前にあった、豊橋市広小路周辺の街路や店の並びが分かる手書きの市街図が、広小路1の杉浦薬局で見つかった。現社長の杉浦宏始さんの父で2代目社長の啓さんを含む近隣の仲間6人が63年になってから、40~44年当時を思い出しながら作り上げた地図という。しかし、杉浦さんにもそれ以上のことが分からず、地図そのものも仲間内だけが持つのか地域に配られたのかも不明。杉浦さんは情報を求めている。
 杉浦さんが地図の存在を知ったのが約20年前。書類の中から見つけたという。紙も損傷しており、「このままではボロボロになってしまう」とコピーをとりラミネート加工をした。そのままになっていた地図を最近になって再び見つけたことから「何かに役立てることができれば」と考え始めたという。
 地図はA3の片面印刷。豊橋駅と広小路通り、萱町通り、ときわ通り、船町通りなどの街路と、通り沿いにある商店や病院、住宅の名が書き込まれている。駅前大通りは描かれていないが、地図の隅には「狭間小学校」の文字も見える。
 広小路通りに豊橋鉄道市内線が走っており、ときわ通りは今と異なり松葉公園方面に向けて斜めに伸びているのが分かる。杉浦薬局や精文館など、現在の場所とは少しずれた場所で営んでいる店もあれば、現在とほぼ同じ位置で営業している店も。炭屋が多く、髪結いやバナナ屋の表記も。乾繭取引所があり、まゆ屋や糸屋も点在する。
 地図には「昭和15~19年」の文字と、原稿を作った6人の名が書かれ、杉浦さんの父のほか画家としても知られた冨安昌也さんの名もある。脇には「大正軒提供」とあり、杉浦さんは「既成の地図の上に、みんなが記憶を頼りに店などを書き込んだのではないか」と推測する。「昔の情報が知りたい人向けなど、地図が何かの参考になればうれしい。もし、父と一緒に作業した人のお子さんやお孫さんなど情報を持っている人がいたら教えてほしい」と話す。問い合わせは杉浦さん(090・7955・7605)へ。
【田中博子】

杉浦薬局社長の父ら手書きで1963年作製

 1945年6月に起きた「豊橋空襲」以前にあった、豊橋市広小路周辺の街路や店の並びが分かる手書きの市街図が、広小路1の杉浦薬局で見つかった。現社長の杉浦宏始さんの父で2代目社長の啓さんを含む近隣の仲間6人が63年になってから、40~44年当時を思い出しながら作り上げた地図という。しかし、杉浦さんにもそれ以上のことが分からず、地図そのものも仲間内だけが持つのか地域に配られたのかも不明。杉浦さんは情報を求めている。
 杉浦さんが地図の存在を知ったのが約20年前。書類の中から見つけたという。紙も損傷しており、「このままではボロボロになってしまう」とコピーをとりラミネート加工をした。そのままになっていた地図を最近になって再び見つけたことから「何かに役立てることができれば」と考え始めたという。
 地図はA3の片面印刷。豊橋駅と広小路通り、萱町通り、ときわ通り、船町通りなどの街路と、通り沿いにある商店や病院、住宅の名が書き込まれている。駅前大通りは描かれていないが、地図の隅には「狭間小学校」の文字も見える。
 広小路通りに豊橋鉄道市内線が走っており、ときわ通りは今と異なり松葉公園方面に向けて斜めに伸びているのが分かる。杉浦薬局や精文館など、現在の場所とは少しずれた場所で営んでいる店もあれば、現在とほぼ同じ位置で営業している店も。炭屋が多く、髪結いやバナナ屋の表記も。乾繭取引所があり、まゆ屋や糸屋も点在する。
 地図には「昭和15~19年」の文字と、原稿を作った6人の名が書かれ、杉浦さんの父のほか画家としても知られた冨安昌也さんの名もある。脇には「大正軒提供」とあり、杉浦さんは「既成の地図の上に、みんなが記憶を頼りに店などを書き込んだのではないか」と推測する。「昔の情報が知りたい人向けなど、地図が何かの参考になればうれしい。もし、父と一緒に作業した人のお子さんやお孫さんなど情報を持っている人がいたら教えてほしい」と話す。問い合わせは杉浦さん(090・7955・7605)へ。
【田中博子】

コピーした地図を手にする杉浦さん=東愛知新聞社で
コピーした地図を手にする杉浦さん=東愛知新聞社で
地図の一部。今とほぼ同じ場所に玉川うどん、勢川など
地図の一部。今とほぼ同じ場所に玉川うどん、勢川など

カテゴリー:社会・経済

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