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そこに刻まれた轍 ほのくに幻影物語

カテゴリー:特集

灰野集落跡地の竹藪にたたずむ家屋=豊川市御津町で
灰野集落跡地の竹藪にたたずむ家屋=豊川市御津町で
灰野峠入り口にまつられた馬頭観音=同
灰野峠入り口にまつられた馬頭観音=同
廃車やビニールハウスも残る=同
廃車やビニールハウスも残る=同

⑦灰野集落

 豊川市御津町の金野地区。北側の山中に廃村がある。灰野集落はかつての人々の生活の面影を残し、江戸時代に御油宿までを結んだ灰野峠(灰野坂)が現存している。

 県道373号・金野豊川線から北へ約500㍍。緑奥深い山中に灰野集落があった。戦後しばらくは人々が暮らしていたが、1959(昭和34)年に整備された金野豊川線の沿道に家屋が増え、70年代には灰野は無人になった。集落へつながる道も狭く、人々が生活の利便性を求めて移住したと考えられる。
 現在は車両通行が禁止されている道を進むと、竹藪の中にたたずむ家屋や、農業用ビニールハウスや廃車が残っている。石垣があり、複数の民家が建っていた形跡も。木にはたき火やたばこの後始末を呼び掛ける看板がぶら下がる。神社や寺も無人だが、墓などは管理され、今も定期的に人が訪れるようだ。
 「角川日本地名大辞典」によると、灰野の地名は戦国時代に宮路寺が兵火に焼かれ灰と化したことが由来とされる。明治9年には隣の金割村と合併し、1文字ずつ取って金野村となった。
 東に約1・5㌔は現在の御油町。集落から狭く険しい山道を越えると御油につながる灰野峠は、現在も東三河ふるさと公園の北側に県道368豊川蒲郡線の一部として残る。江戸時代は御油宿への交通の要所として人々が往来し、蒲郡方面からも国坂峠などを通って御油の茶屋(遊郭)を目指す人も多かった。
 灰野峠入り口の三差路には馬頭観音がまつられる。石仏には「文政八年酉八月」(=1825年)と記され、江戸時代後期から200年近い歴史を感じさせる。
(由本裕貴)

⑦灰野集落

 豊川市御津町の金野地区。北側の山中に廃村がある。灰野集落はかつての人々の生活の面影を残し、江戸時代に御油宿までを結んだ灰野峠(灰野坂)が現存している。

 県道373号・金野豊川線から北へ約500㍍。緑奥深い山中に灰野集落があった。戦後しばらくは人々が暮らしていたが、1959(昭和34)年に整備された金野豊川線の沿道に家屋が増え、70年代には灰野は無人になった。集落へつながる道も狭く、人々が生活の利便性を求めて移住したと考えられる。
 現在は車両通行が禁止されている道を進むと、竹藪の中にたたずむ家屋や、農業用ビニールハウスや廃車が残っている。石垣があり、複数の民家が建っていた形跡も。木にはたき火やたばこの後始末を呼び掛ける看板がぶら下がる。神社や寺も無人だが、墓などは管理され、今も定期的に人が訪れるようだ。
 「角川日本地名大辞典」によると、灰野の地名は戦国時代に宮路寺が兵火に焼かれ灰と化したことが由来とされる。明治9年には隣の金割村と合併し、1文字ずつ取って金野村となった。
 東に約1・5㌔は現在の御油町。集落から狭く険しい山道を越えると御油につながる灰野峠は、現在も東三河ふるさと公園の北側に県道368豊川蒲郡線の一部として残る。江戸時代は御油宿への交通の要所として人々が往来し、蒲郡方面からも国坂峠などを通って御油の茶屋(遊郭)を目指す人も多かった。
 灰野峠入り口の三差路には馬頭観音がまつられる。石仏には「文政八年酉八月」(=1825年)と記され、江戸時代後期から200年近い歴史を感じさせる。
(由本裕貴)

灰野集落跡地の竹藪にたたずむ家屋=豊川市御津町で
灰野集落跡地の竹藪にたたずむ家屋=豊川市御津町で
灰野峠入り口にまつられた馬頭観音=同
灰野峠入り口にまつられた馬頭観音=同
廃車やビニールハウスも残る=同
廃車やビニールハウスも残る=同

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