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「布絵」作家の杉浦さん 豊橋で遺作展

在りし日の杉浦さん
在りし日の杉浦さん
物語コーポレーションに飾られた作品と長男の彰さん(提供)
物語コーポレーションに飾られた作品と長男の彰さん(提供)
ピアでの遺作展
ピアでの遺作展

 古布の色や柄、質感を生かしてアップリケで絵を描く「布絵」の作家、杉浦捷子さん(豊橋市横須賀町)が3月18日に亡くなった。83歳だった。当地の第一人者で、国内外で個展を開き、多くの後進も育ててきた。豊橋市花田町の「珈琲館ピア」で遺作展が開かれている。5日は四十九日。

 昔から布の収集が好きで袋物などを作っていたが1982年、宮脇綾子さんが書いた「私の創作アップリケ」に出合い、布絵作家の道を志した。四季折々の花や旬の食べ物、商店や山里の光景など自然を中心に、味わい深く温かみある作品を生み続けた。
 97年「集落」で「家庭画報大賞優秀賞」を受賞。2000年には米国での展示も成功させた。豊橋や田原では定期的に個展や教室展を開き、多くのファンを楽しませた。作家の杉浦明平さんや書家の福瀬餓鬼さんらとも交流があったほか、外食大手「物語コーポレーション」の小林佳雄会長とも親交があり、豊橋市西岩田の本社玄関や社長室、グループブランドの「魚貝三昧 げん屋」(同市松葉町)にも作品が飾られている。
 杉浦さんの長男彰さんが旅行会社を経営していた縁で、イタリアやインドに10回以上足を運んだ。インド綿には強く関心を持ち、作品に取り入れることも多かった。彰さんは「私が高校生の頃、母は布絵に没頭するようになりました。年数がたつにつれ、私が見てもだんだん美しく味のある作品を作るようになり、母がプロの布絵作家になったのだと驚いたものです」と振り返る。
 そして捷子さんについて「人とのつながりを大切にする人、どこにいても自分流の楽しみを見つける人でした。作家活動をしながら子どもを4人育てたこともあり、布絵作家としての自分の仕事に自負を持っておりました」と話した。
 昨年5月に胃がんと診断され、胃を3分の2切除した。入院はできる限りせず、「自宅で庭の緑を眺めながら過ごしたい」との希望を家族がかなえた。弱っていく姿を見せまいと、親類や友人知人への知らせも亡くなった後に、と彰さんに託したそうだ。
 膨大な作品は豊橋のアトリエから東京の彰さん宅に移された。行き先が決まっているものもあるが、ゆくゆくはネット上で公開したり、豊橋で展覧会を開き、縁があった人たちに寄付を募る形で手渡すことも考えているという。
ピアでは毎年、この時期に作品を発表している。今回も杉浦さんが生前、教室展として企画していたものだった。訃報を知ったベテラン生徒6人が急きょ遺作展に変更、自分たちの作品に加え手持ちの杉浦さんの作品を1点ずつ持ち寄った。花や鳩車、商家など、木綿や絣(かすり)などの風合いが生きる作品が楽しめる。生徒たちも街並みや花などの力作を展示している。6月4日まで(日曜祝日は午前営業)。
【田中博子】

 古布の色や柄、質感を生かしてアップリケで絵を描く「布絵」の作家、杉浦捷子さん(豊橋市横須賀町)が3月18日に亡くなった。83歳だった。当地の第一人者で、国内外で個展を開き、多くの後進も育ててきた。豊橋市花田町の「珈琲館ピア」で遺作展が開かれている。5日は四十九日。

 昔から布の収集が好きで袋物などを作っていたが1982年、宮脇綾子さんが書いた「私の創作アップリケ」に出合い、布絵作家の道を志した。四季折々の花や旬の食べ物、商店や山里の光景など自然を中心に、味わい深く温かみある作品を生み続けた。
 97年「集落」で「家庭画報大賞優秀賞」を受賞。2000年には米国での展示も成功させた。豊橋や田原では定期的に個展や教室展を開き、多くのファンを楽しませた。作家の杉浦明平さんや書家の福瀬餓鬼さんらとも交流があったほか、外食大手「物語コーポレーション」の小林佳雄会長とも親交があり、豊橋市西岩田の本社玄関や社長室、グループブランドの「魚貝三昧 げん屋」(同市松葉町)にも作品が飾られている。
 杉浦さんの長男彰さんが旅行会社を経営していた縁で、イタリアやインドに10回以上足を運んだ。インド綿には強く関心を持ち、作品に取り入れることも多かった。彰さんは「私が高校生の頃、母は布絵に没頭するようになりました。年数がたつにつれ、私が見てもだんだん美しく味のある作品を作るようになり、母がプロの布絵作家になったのだと驚いたものです」と振り返る。
 そして捷子さんについて「人とのつながりを大切にする人、どこにいても自分流の楽しみを見つける人でした。作家活動をしながら子どもを4人育てたこともあり、布絵作家としての自分の仕事に自負を持っておりました」と話した。
 昨年5月に胃がんと診断され、胃を3分の2切除した。入院はできる限りせず、「自宅で庭の緑を眺めながら過ごしたい」との希望を家族がかなえた。弱っていく姿を見せまいと、親類や友人知人への知らせも亡くなった後に、と彰さんに託したそうだ。
 膨大な作品は豊橋のアトリエから東京の彰さん宅に移された。行き先が決まっているものもあるが、ゆくゆくはネット上で公開したり、豊橋で展覧会を開き、縁があった人たちに寄付を募る形で手渡すことも考えているという。
ピアでは毎年、この時期に作品を発表している。今回も杉浦さんが生前、教室展として企画していたものだった。訃報を知ったベテラン生徒6人が急きょ遺作展に変更、自分たちの作品に加え手持ちの杉浦さんの作品を1点ずつ持ち寄った。花や鳩車、商家など、木綿や絣(かすり)などの風合いが生きる作品が楽しめる。生徒たちも街並みや花などの力作を展示している。6月4日まで(日曜祝日は午前営業)。
【田中博子】

在りし日の杉浦さん
在りし日の杉浦さん
物語コーポレーションに飾られた作品と長男の彰さん(提供)
物語コーポレーションに飾られた作品と長男の彰さん(提供)
ピアでの遺作展
ピアでの遺作展

カテゴリー:社会・経済

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