新城で「設楽原決戦場まつり」
第34回設楽原決戦場まつりが3日、新城市設楽原歴史資料館周辺で開かれた。4年ぶりに観客が見守る中、武者行列や火縄銃演武が披露された。
1575年にあった長篠・設楽原の戦いで戦没した武田勝頼軍と織田信長・徳川家康連合軍の将士の冥福を祈る。4年前までは戦いのあった旧暦5月21日に合わせ、7月上旬に開いていた。その後6月に前倒したが、新型コロナウイルス禍で過去3年間は慰霊法要のみだった。
午前11時、資料館から甲冑(かっちゅう)姿の市立東郷東小学校児童6人と長篠・設楽原鉄砲隊員らが500㍍離れた決戦場跡地の馬防柵まで練り歩いた。地元の和太鼓やほら貝の演奏後、鉄砲隊が三段撃ちなどの演武を披露した。6年生の松宮帆希さんは「甲冑ものぼり旗も重たかったけれど参加できてうれしい」と話した。
山梨県甲州市から訪れる予定だった武田軍の子孫ら30人は大雨の影響で参加を取りやめた。
【安藤聡】
第34回設楽原決戦場まつりが3日、新城市設楽原歴史資料館周辺で開かれた。4年ぶりに観客が見守る中、武者行列や火縄銃演武が披露された。
1575年にあった長篠・設楽原の戦いで戦没した武田勝頼軍と織田信長・徳川家康連合軍の将士の冥福を祈る。4年前までは戦いのあった旧暦5月21日に合わせ、7月上旬に開いていた。その後6月に前倒したが、新型コロナウイルス禍で過去3年間は慰霊法要のみだった。
午前11時、資料館から甲冑(かっちゅう)姿の市立東郷東小学校児童6人と長篠・設楽原鉄砲隊員らが500㍍離れた決戦場跡地の馬防柵まで練り歩いた。地元の和太鼓やほら貝の演奏後、鉄砲隊が三段撃ちなどの演武を披露した。6年生の松宮帆希さんは「甲冑ものぼり旗も重たかったけれど参加できてうれしい」と話した。
山梨県甲州市から訪れる予定だった武田軍の子孫ら30人は大雨の影響で参加を取りやめた。
【安藤聡】