豊橋空襲を語り継ぐ会が「平和を誓うつどい」
反戦の願い込めて灯籠流しも
1945年6月の豊橋空襲を語り継ぐ「平和を誓うつどい」が20日夜、豊橋市湊町公園であった。空襲から78年となり記憶の風化が心配される中、初参加の空襲体験者らが「過ちを繰り返さないように」と声を振り絞った。
市民団体「豊橋空襲を語りつぐ会」が、戦争体験などを後世に残すために開いている。戦没者への黙とうや平和記念碑前での献花に続き、幼少時に空襲に遭った3人が語った。
市内に住む80代の男性は、警防団の制止を振り切って豊川市境を越えて避難したという。焼夷弾で犠牲となった人を間近で見たつらい思い出に触れ、「毎年の報道で催しを知るたびに思いが募った。今年は話そうと決めて参加した」と胸の内を語った。
その後、豊川(とよがわ)河川敷から平和のメッセージをつづった灯籠を流し、戦争反対と恒久平和を願った。会の長坂すぎ子さん(68)は「国防のための再軍備が本当に平和に役立つのかを深く考える必要がある。戦争体験者の記憶から歴史を学び、平和づくりに生かしたい」と呼び掛けた。
豊橋空襲は1945年6月19日夜から20日未明にかけて米軍爆撃機が焼夷弾で市街地を爆撃、624人が死亡するなど7万人余が被害に遭った。
【加藤広宣】
反戦の願い込めて灯籠流しも
1945年6月の豊橋空襲を語り継ぐ「平和を誓うつどい」が20日夜、豊橋市湊町公園であった。空襲から78年となり記憶の風化が心配される中、初参加の空襲体験者らが「過ちを繰り返さないように」と声を振り絞った。
市民団体「豊橋空襲を語りつぐ会」が、戦争体験などを後世に残すために開いている。戦没者への黙とうや平和記念碑前での献花に続き、幼少時に空襲に遭った3人が語った。
市内に住む80代の男性は、警防団の制止を振り切って豊川市境を越えて避難したという。焼夷弾で犠牲となった人を間近で見たつらい思い出に触れ、「毎年の報道で催しを知るたびに思いが募った。今年は話そうと決めて参加した」と胸の内を語った。
その後、豊川(とよがわ)河川敷から平和のメッセージをつづった灯籠を流し、戦争反対と恒久平和を願った。会の長坂すぎ子さん(68)は「国防のための再軍備が本当に平和に役立つのかを深く考える必要がある。戦争体験者の記憶から歴史を学び、平和づくりに生かしたい」と呼び掛けた。
豊橋空襲は1945年6月19日夜から20日未明にかけて米軍爆撃機が焼夷弾で市街地を爆撃、624人が死亡するなど7万人余が被害に遭った。
【加藤広宣】