豊川LCが海軍工廠戦没者慰霊と語り継ぎの集い
豊川LCが海軍工廠戦没者慰霊と語り継ぎの集い
豊川ライオンズクラブは4日、「豊川海軍工廠(こうしょう)の空襲戦没者被災者の慰霊と語り継ぎの集い」を、豊川市豊川町の戦没者供養塔前で開いた。
クラブ創立60周年記念事業の一つ。1945年8月7日の工廠への空爆で、多くの人たちが命を失った歴史を後世に伝えようと企画した。
語り継ぎは被災者が高齢化して自ら語ることが難しくなっていることから、本人ではなくボランティアの久野盛繁さんら4人が担当し、伊藤等さん(94)の体験談を元にした空襲の様子を詳しく紹介した。「爆弾が次から次へと降り注ぎ、生き埋めになって助けを求める人がいる中、逃げた。両手、両足がなくなった女子が助けてほしいとこちらを見ていた。腹から飛び出した腸を引きずっている人もいた」と惨劇を語った。
また戦前の学校の様子については、「学芸会で敵国人の役をしましたが、それだけで非国民と言われてしまう空気があった」と説明した。
戦中・戦後の食事や遊び体験もあった。芋がゆを味わったほか、コマ回し、竹とんぼ、紙風船で遊んだ。
田中衛会長は「空爆では学徒動員された多くの若者が命を失った。現在は、明日の命の心配がない平和な暮らしができていますが、犠牲になった人がいたことを忘れてはいけない」と話した。
【竹下貴信】
豊川LCが海軍工廠戦没者慰霊と語り継ぎの集い
豊川ライオンズクラブは4日、「豊川海軍工廠(こうしょう)の空襲戦没者被災者の慰霊と語り継ぎの集い」を、豊川市豊川町の戦没者供養塔前で開いた。
クラブ創立60周年記念事業の一つ。1945年8月7日の工廠への空爆で、多くの人たちが命を失った歴史を後世に伝えようと企画した。
語り継ぎは被災者が高齢化して自ら語ることが難しくなっていることから、本人ではなくボランティアの久野盛繁さんら4人が担当し、伊藤等さん(94)の体験談を元にした空襲の様子を詳しく紹介した。「爆弾が次から次へと降り注ぎ、生き埋めになって助けを求める人がいる中、逃げた。両手、両足がなくなった女子が助けてほしいとこちらを見ていた。腹から飛び出した腸を引きずっている人もいた」と惨劇を語った。
また戦前の学校の様子については、「学芸会で敵国人の役をしましたが、それだけで非国民と言われてしまう空気があった」と説明した。
戦中・戦後の食事や遊び体験もあった。芋がゆを味わったほか、コマ回し、竹とんぼ、紙風船で遊んだ。
田中衛会長は「空爆では学徒動員された多くの若者が命を失った。現在は、明日の命の心配がない平和な暮らしができていますが、犠牲になった人がいたことを忘れてはいけない」と話した。
【竹下貴信】