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豊橋の白山比咩神社「吉田花祭り」

「吉田花祭り音頭」の踊りを披露する子どもや住民ら=豊橋市の広小路通りで
「吉田花祭り音頭」の踊りを披露する子どもや住民ら=豊橋市の広小路通りで

 豊橋市広小路3の白山比咩(はくさんひめ)神社で4、5両日、例大祭「吉田花祭り」が行われた。本祭の5日は花行列が繰り広げられ、鮮やかなピンク色の花飾り「勝花(かちばな)」を背負った住民らが市中心街の広小路通りを練り歩いた。途中、「吉田花祭り音頭」の踊りも披露した。
 花行列は、6カ町の氏子や子ども、花園幼稚園の園児ら総勢約250人が参加。和紙3枚で作った花びら(計約2万房)を飾り付けた2㍍前後の勝花を背負ったり、神輿(みこし)につけたりして、広小路通りを歩いた。この日は青空が広がり、ピンク色の勝花が映えた。
 途中で計8回、昨年、創作した吉田花祭り音頭の踊りを繰り広げ、「ヨイショ」などの声が響いた。
 今年は、県立豊丘高校和太鼓部の3年・峯﨑春菜さんと2年・野呂都乃さんが協力、和太鼓をたたいた。2人は「勝花がとてもきれい。住民の皆さんが優しく、楽しくたたけました」と話していた。
 三河国吉田名蹤(めいしょう)綜録によると、江戸時代の1665年、花祭りが始まり、紙で作った桜花を飾り付けた竹を若者が背負い、踊りながら練り歩いたとされる。1945年の豊橋空襲による被災で途絶えた。近年、氏子町内は少子化、人口減少などが進む一方、マンション建設で新しい住民も加わり、一昨年から住民らの手で本格的に祭りを復活させた。
 祭り実行委員長の冨田佳央さんは「天候にも恵まれ、皆さんのおかげでにぎやかにできました」と感謝していた。
(中村晋也)

 豊橋市広小路3の白山比咩(はくさんひめ)神社で4、5両日、例大祭「吉田花祭り」が行われた。本祭の5日は花行列が繰り広げられ、鮮やかなピンク色の花飾り「勝花(かちばな)」を背負った住民らが市中心街の広小路通りを練り歩いた。途中、「吉田花祭り音頭」の踊りも披露した。
 花行列は、6カ町の氏子や子ども、花園幼稚園の園児ら総勢約250人が参加。和紙3枚で作った花びら(計約2万房)を飾り付けた2㍍前後の勝花を背負ったり、神輿(みこし)につけたりして、広小路通りを歩いた。この日は青空が広がり、ピンク色の勝花が映えた。
 途中で計8回、昨年、創作した吉田花祭り音頭の踊りを繰り広げ、「ヨイショ」などの声が響いた。
 今年は、県立豊丘高校和太鼓部の3年・峯﨑春菜さんと2年・野呂都乃さんが協力、和太鼓をたたいた。2人は「勝花がとてもきれい。住民の皆さんが優しく、楽しくたたけました」と話していた。
 三河国吉田名蹤(めいしょう)綜録によると、江戸時代の1665年、花祭りが始まり、紙で作った桜花を飾り付けた竹を若者が背負い、踊りながら練り歩いたとされる。1945年の豊橋空襲による被災で途絶えた。近年、氏子町内は少子化、人口減少などが進む一方、マンション建設で新しい住民も加わり、一昨年から住民らの手で本格的に祭りを復活させた。
 祭り実行委員長の冨田佳央さんは「天候にも恵まれ、皆さんのおかげでにぎやかにできました」と感謝していた。
(中村晋也)

「吉田花祭り音頭」の踊りを披露する子どもや住民ら=豊橋市の広小路通りで
「吉田花祭り音頭」の踊りを披露する子どもや住民ら=豊橋市の広小路通りで

カテゴリー:社会・経済

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