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先人の苦労を後世へ

建立される入植記念碑=豊橋市曙町測点で(水梨会長提供)
建立される入植記念碑=豊橋市曙町測点で(水梨会長提供)

豊橋の測点開拓友の会「入植記念碑を建立」

 豊橋市南部、軍隊の演習場だった「高師ケ原」を終戦後に開墾し、農地をつくり上げた先人の苦労を後世に残そうと、入植者の2世、3世でつくる「測点開拓友の会」が同市曙町測点に入植記念碑を建立し、12日、現地で除幕式を開く。一帯は住宅地に様変わり、かつての面影はなく、水梨豊三会長(80)は「昔の苦難を忘れないようにしたい」と話す。
 1945(昭和20)年の終戦により、演習場だった土地を国から払い下げを受け、軍属だった16世帯が測点の地に開拓者として入植。演習場で最も高い「測点高地」と呼ばれていたことから、地名を測点にした。
 「測点から南栄の方まで見えた」と、終戦時、小学2年生の水梨会長が思い起こすように一帯は広大な原野だった。
 記念碑には「草木も生えないやせた原野を開墾し、農業を営み作物ができるようになるまでには言葉に表すことのできない数多くの苦難を乗り越えて何年もかけて立派な農地を作り上げた」と刻んだ。
 「数㍍四方で土地をめくり、乾燥させ、張り巡らされたササの根を取り除いた上で作物を作った」と水梨会長。ようやくできた農地では、イモや麦、スイカを栽培していたという。
 現在、16世帯で開墾した測点の地は大きく発展、約700世帯となり、一帯は住宅地や店舗が建ち並ぶ街に変ぼうを遂げた。水梨さんは「入植当時を知っているのは私たち2世しかいなく、今、残さないと忘れ去られてしまう」。記念碑には2世、3世の12人の名前も刻まれた。
(中村晋也)

豊橋の測点開拓友の会「入植記念碑を建立」

 豊橋市南部、軍隊の演習場だった「高師ケ原」を終戦後に開墾し、農地をつくり上げた先人の苦労を後世に残そうと、入植者の2世、3世でつくる「測点開拓友の会」が同市曙町測点に入植記念碑を建立し、12日、現地で除幕式を開く。一帯は住宅地に様変わり、かつての面影はなく、水梨豊三会長(80)は「昔の苦難を忘れないようにしたい」と話す。
 1945(昭和20)年の終戦により、演習場だった土地を国から払い下げを受け、軍属だった16世帯が測点の地に開拓者として入植。演習場で最も高い「測点高地」と呼ばれていたことから、地名を測点にした。
 「測点から南栄の方まで見えた」と、終戦時、小学2年生の水梨会長が思い起こすように一帯は広大な原野だった。
 記念碑には「草木も生えないやせた原野を開墾し、農業を営み作物ができるようになるまでには言葉に表すことのできない数多くの苦難を乗り越えて何年もかけて立派な農地を作り上げた」と刻んだ。
 「数㍍四方で土地をめくり、乾燥させ、張り巡らされたササの根を取り除いた上で作物を作った」と水梨会長。ようやくできた農地では、イモや麦、スイカを栽培していたという。
 現在、16世帯で開墾した測点の地は大きく発展、約700世帯となり、一帯は住宅地や店舗が建ち並ぶ街に変ぼうを遂げた。水梨さんは「入植当時を知っているのは私たち2世しかいなく、今、残さないと忘れ去られてしまう」。記念碑には2世、3世の12人の名前も刻まれた。
(中村晋也)

建立される入植記念碑=豊橋市曙町測点で(水梨会長提供)
建立される入植記念碑=豊橋市曙町測点で(水梨会長提供)

カテゴリー:社会・経済 / 地域・教育

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