国登録有形文化財に永住寺本堂など建造物群答申
国の文化審議会(佐藤信会長)は19日、新城市裏野の永住寺本堂など同寺院にある6棟を国登録有形文化財(建造物)に登録するよう柴山昌彦文部科学大臣に答申した。
答申されたのは同寺本堂、開山堂・位牌堂、庫裏・書院、禅堂、衆寮、経蔵の6棟。いずれも木造で、禅堂は金属板ぶき、その他は瓦ぶき。本堂は元禄10(1697)年に建立されるなど江戸時代の元禄期から末期にかけて建設された。
「近世曹洞宗の中核寺院として、僧侶が修業する場の伽藍(がらん)を一体的に残す寺院は少なく、貴重な建造物群」と評価された。
寺は曹洞宗の禅宗寺院。上平井村(現・同市上平井)に創建された前身の寺が焼失したのを受け、天正2(1574)年に作手亀山城主の奥平貞能(さだよし)が再建した。
新美典昭住職は「貴重な建物として後世に伝えられるようにしていきたい」と話している。
(安藤聡)
国の文化審議会(佐藤信会長)は19日、新城市裏野の永住寺本堂など同寺院にある6棟を国登録有形文化財(建造物)に登録するよう柴山昌彦文部科学大臣に答申した。
答申されたのは同寺本堂、開山堂・位牌堂、庫裏・書院、禅堂、衆寮、経蔵の6棟。いずれも木造で、禅堂は金属板ぶき、その他は瓦ぶき。本堂は元禄10(1697)年に建立されるなど江戸時代の元禄期から末期にかけて建設された。
「近世曹洞宗の中核寺院として、僧侶が修業する場の伽藍(がらん)を一体的に残す寺院は少なく、貴重な建造物群」と評価された。
寺は曹洞宗の禅宗寺院。上平井村(現・同市上平井)に創建された前身の寺が焼失したのを受け、天正2(1574)年に作手亀山城主の奥平貞能(さだよし)が再建した。
新美典昭住職は「貴重な建物として後世に伝えられるようにしていきたい」と話している。
(安藤聡)