戦争の痕跡 高師緑地公園の松
豊橋市高師緑地公園内には、多くの立派な松があるが、幹の一部が削られている木が目立つ。太平洋戦争末期、旧陸軍が松やにを採取し、石油の代替品をつくろうと計画した痕跡という。戦後75年が過ぎた今も、戦争の愚かさを伝えている。
南栄町の大羽朝子さん(92)によると、終戦の6カ月ほど前から、松やにの採取が始まったという。大羽さんが詳しい事情を聞いたのは戦後だ。当時は、何に使うのか分からなかった。「何をしているのか聞くと、怒られる時代。遠くからながめていましたよ」と振り返る。
物資が非常に不足し、食べ物を入手するにも厳しい時代だった。石油は当然ながら足りない。松やにも油の一種なので、代替品にならないか研究したという。
大羽さんは「松やにを石油の代替品にしようと考えるのは、とても無理な話。戦争の愚かさを伝える一つのエピソードだと感じる。こんな馬鹿げたことを真面目に取り組まなければいけない戦争は、2度としてはいけない」と話す。
【竹下貴信】
豊橋市高師緑地公園内には、多くの立派な松があるが、幹の一部が削られている木が目立つ。太平洋戦争末期、旧陸軍が松やにを採取し、石油の代替品をつくろうと計画した痕跡という。戦後75年が過ぎた今も、戦争の愚かさを伝えている。
南栄町の大羽朝子さん(92)によると、終戦の6カ月ほど前から、松やにの採取が始まったという。大羽さんが詳しい事情を聞いたのは戦後だ。当時は、何に使うのか分からなかった。「何をしているのか聞くと、怒られる時代。遠くからながめていましたよ」と振り返る。
物資が非常に不足し、食べ物を入手するにも厳しい時代だった。石油は当然ながら足りない。松やにも油の一種なので、代替品にならないか研究したという。
大羽さんは「松やにを石油の代替品にしようと考えるのは、とても無理な話。戦争の愚かさを伝える一つのエピソードだと感じる。こんな馬鹿げたことを真面目に取り組まなければいけない戦争は、2度としてはいけない」と話す。
【竹下貴信】