文字の大きさ

豊川「花の木古墳群」現地説明会

地元住民が参加した花の木古墳群の発掘調査説明会=豊川市大木町で
地元住民が参加した花の木古墳群の発掘調査説明会=豊川市大木町で
今回の調査で新たに出土した土器=同
今回の調査で新たに出土した土器=同

 豊川市大木町にある「花の木古墳群」で3日、発掘調査を担当した県埋蔵文化財センターによる地元住民向け説明会が行われた。5月から行われている調査で、新たに4基の古墳の築造時期や形状などが判明した。 場所は県立宝陵高校の西側。本宮山山麓から広がる扇状地の末端、西原(さいばら)台地に数多く分布する遺跡の一つで、国道151号バイパス建設に伴い、今年度調査が行われていた。
 花の木古墳群は1~7号の全7基の古墳でなり、1968(昭和43)年には北側の工場建設に伴う造成と、当時の宝飯郡一宮町史の編さんのため2号墳のみを調査。今回は2号墳の再調査を含め、区域内にある5基を調査している。
 古墳時代中期の築造とされる直径約30㍍の2号墳は円墳だが、今回新たに調査された3号墳、5号墳、6号墳、7号墳はいずれも方墳という形状で、規模は約10~15㍍四方。3号墳と6号墳、7号墳の周辺からは土器が出土し、これらのことから築造は2号墳よりも前の古墳時代前期と推定される。
 52年前の2号墳の調査では、3つの木棺が見つかり、中からは人骨や副葬品が発見されたが、今回は木棺を納めた掘り込みも確認。副葬品の鉄剣や勾玉(まがたま)も特別に展示された。
 古墳は本宮山に向かって連なるよう配置され、県埋蔵文化財センター調査研究専門員の早野浩二さん(48)は「山も海も見える眺めのいい場所に作ったのでは。当時は北枕の風習があり、木棺は北向きに並んで葬られていた」と説明する。
 古墳群からは弥生時代の住居の痕跡なども見つかっており、来年3月まで調査が続く。
【由本裕貴】

 豊川市大木町にある「花の木古墳群」で3日、発掘調査を担当した県埋蔵文化財センターによる地元住民向け説明会が行われた。5月から行われている調査で、新たに4基の古墳の築造時期や形状などが判明した。 場所は県立宝陵高校の西側。本宮山山麓から広がる扇状地の末端、西原(さいばら)台地に数多く分布する遺跡の一つで、国道151号バイパス建設に伴い、今年度調査が行われていた。
 花の木古墳群は1~7号の全7基の古墳でなり、1968(昭和43)年には北側の工場建設に伴う造成と、当時の宝飯郡一宮町史の編さんのため2号墳のみを調査。今回は2号墳の再調査を含め、区域内にある5基を調査している。
 古墳時代中期の築造とされる直径約30㍍の2号墳は円墳だが、今回新たに調査された3号墳、5号墳、6号墳、7号墳はいずれも方墳という形状で、規模は約10~15㍍四方。3号墳と6号墳、7号墳の周辺からは土器が出土し、これらのことから築造は2号墳よりも前の古墳時代前期と推定される。
 52年前の2号墳の調査では、3つの木棺が見つかり、中からは人骨や副葬品が発見されたが、今回は木棺を納めた掘り込みも確認。副葬品の鉄剣や勾玉(まがたま)も特別に展示された。
 古墳は本宮山に向かって連なるよう配置され、県埋蔵文化財センター調査研究専門員の早野浩二さん(48)は「山も海も見える眺めのいい場所に作ったのでは。当時は北枕の風習があり、木棺は北向きに並んで葬られていた」と説明する。
 古墳群からは弥生時代の住居の痕跡なども見つかっており、来年3月まで調査が続く。
【由本裕貴】

地元住民が参加した花の木古墳群の発掘調査説明会=豊川市大木町で
地元住民が参加した花の木古墳群の発掘調査説明会=豊川市大木町で
今回の調査で新たに出土した土器=同
今回の調査で新たに出土した土器=同

カテゴリー:社会・経済

 PR

PR