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「三河国分寺跡」調査結果

出土した溝の跡。職員が広げる手の幅に走っている=三河国分寺跡で
出土した溝の跡。職員が広げる手の幅に走っている=三河国分寺跡で
豊川市で初めて出土した奈良三彩陶器㊧
豊川市で初めて出土した奈良三彩陶器㊧
土坑に大量に捨てられていた瓦
土坑に大量に捨てられていた瓦

 豊川市教育委員会は、国指定史跡「三河国分寺跡」(八幡町本郷)の今年度の発掘調査結果をまとめた。塔の北側に、奈良時代の2本の溝を確認した。敷地を区切る土塀があった可能性がある。また、奈良三彩陶器が出土した。31日に現地説明会を開く。
 市教委によると、これまでに昭和60年代、2007年に大規模な調査をした。三河国分寺は東西南北180㍍平方の広大な寺域があり、南大門、金堂、講堂などが南北に配置され、その南西部に塔があったことが礎石などから確認されている。
 民有地があったがその買収もほぼ終了し、前年度から改めて発掘調査を続けてきた。
 今年度の調査は、6区画を発掘した。この結果、塔北側区画では、2本の溝を確認した。伊勢国分寺(三重県鈴鹿市)の例だと、溝の間には上土塀か築地塀などの土塀があった可能性がある。溝は、塀に用いる土を掘り出した跡で、塀ができた後は排水路になる。何かの施設を囲って建てられていたとみられ、今後の調査で食堂院や僧坊などの遺構がないか確認する。
 また溝は、調査区の中間で途切れるか、極端に幅が狭くなっている部分があった。門の可能性があるという。
 一方、講堂跡北東の調査区からは、奈良三彩陶器の花舎(香炉の一種)の破片が出土した。豊川市内では初めての例。
 さらに講堂跡東側の調査区では、瓦を大量に含む土坑が見つかった。瓦は北か西側から投げ込まれていることが観察されたという。近くにあった建物が何らかの理由で倒壊し、瓦を廃棄したのではないかと市教委は推測している。
 現地説明会は31日午前10時から正午までと、午後1時から同3時まで。小雨決行、荒天中止。市ホームページで告知する。
【山田一晶】

 豊川市教育委員会は、国指定史跡「三河国分寺跡」(八幡町本郷)の今年度の発掘調査結果をまとめた。塔の北側に、奈良時代の2本の溝を確認した。敷地を区切る土塀があった可能性がある。また、奈良三彩陶器が出土した。31日に現地説明会を開く。
 市教委によると、これまでに昭和60年代、2007年に大規模な調査をした。三河国分寺は東西南北180㍍平方の広大な寺域があり、南大門、金堂、講堂などが南北に配置され、その南西部に塔があったことが礎石などから確認されている。
 民有地があったがその買収もほぼ終了し、前年度から改めて発掘調査を続けてきた。
 今年度の調査は、6区画を発掘した。この結果、塔北側区画では、2本の溝を確認した。伊勢国分寺(三重県鈴鹿市)の例だと、溝の間には上土塀か築地塀などの土塀があった可能性がある。溝は、塀に用いる土を掘り出した跡で、塀ができた後は排水路になる。何かの施設を囲って建てられていたとみられ、今後の調査で食堂院や僧坊などの遺構がないか確認する。
 また溝は、調査区の中間で途切れるか、極端に幅が狭くなっている部分があった。門の可能性があるという。
 一方、講堂跡北東の調査区からは、奈良三彩陶器の花舎(香炉の一種)の破片が出土した。豊川市内では初めての例。
 さらに講堂跡東側の調査区では、瓦を大量に含む土坑が見つかった。瓦は北か西側から投げ込まれていることが観察されたという。近くにあった建物が何らかの理由で倒壊し、瓦を廃棄したのではないかと市教委は推測している。
 現地説明会は31日午前10時から正午までと、午後1時から同3時まで。小雨決行、荒天中止。市ホームページで告知する。
【山田一晶】

出土した溝の跡。職員が広げる手の幅に走っている=三河国分寺跡で
出土した溝の跡。職員が広げる手の幅に走っている=三河国分寺跡で
豊川市で初めて出土した奈良三彩陶器㊧
豊川市で初めて出土した奈良三彩陶器㊧
土坑に大量に捨てられていた瓦
土坑に大量に捨てられていた瓦

カテゴリー:社会・経済

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