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「拓魂碑」建立50年 新城で慰霊の会

建立から半世紀を迎える拓魂碑の前に立つ三友会会員ら=いずれも新城市桜渕で
建立から半世紀を迎える拓魂碑の前に立つ三友会会員ら=いずれも新城市桜渕で
清掃活動をする会員ら
清掃活動をする会員ら
拓魂碑の碑文
拓魂碑の碑文

 太平洋戦争前から、満州(中国東北部)に向けて県が送り出していた開拓団「東三河郷開拓団」の悲劇を刻む「拓魂碑」が1971年5月に新城市の桜淵公園内に建てられてまもなく50年を迎える。引き揚げ者でつくる三友会(伊藤哲人会長)が8日、現地で慰霊の会を開いた。4人の引き揚げ者とその家族、協力団体ら13人が碑の周辺を清掃した後、めい福を祈った。

 同開拓団は1939年に東三河地方を送り出し母体として移民団が組織され、翌40年に黒竜江省甘南県に入植した。満州などで亡くなった人たちへの慰霊と開拓魂を記念して71年5月には豊川(とよがわ)右岸の同公園東側に「拓魂碑」が建立された。碑文には「村づくりに心血を注ぎ、終戦時の団員は530余人となり、敗戦により日本へ引き揚げまでの間に被弾や病魔に伏して200人以上が亡くなった」と記されている。
 同会は毎年春と終戦の日、そして年末の3回、公園に集って碑の管理と慰霊をしている。一時期はアラコ社長だった故関谷節郎氏も参加していた。新型コロナウイルス感染防止のため、昨年は年末のみしか活動できなかった。
 今回は引き揚げ者の伊藤会長(83)=東栄町本郷=と夏目幾世さん(83)=豊川市一宮町、小林政央さん(83)=同市赤代町、橋本克己さん(85)=名古屋市=と、関谷城三さん=故人=の娘・田部井捷子さん(82)=豊橋市八町通5=らが参加した。
 伊藤会長は「碑が建立した当時は200人近く来ていた。私たちの子どもの世代はなかなか引き継いでくれない。しかし碑だけは残る。足腰が動くうちは活動を続けていきたい」とあいさつした。
 語り部として活動を続けている橋本さんは「悲惨な戦争を二度としてはならないということをいつまでも伝えていきたい」と話した。
【安藤聡】

 太平洋戦争前から、満州(中国東北部)に向けて県が送り出していた開拓団「東三河郷開拓団」の悲劇を刻む「拓魂碑」が1971年5月に新城市の桜淵公園内に建てられてまもなく50年を迎える。引き揚げ者でつくる三友会(伊藤哲人会長)が8日、現地で慰霊の会を開いた。4人の引き揚げ者とその家族、協力団体ら13人が碑の周辺を清掃した後、めい福を祈った。

 同開拓団は1939年に東三河地方を送り出し母体として移民団が組織され、翌40年に黒竜江省甘南県に入植した。満州などで亡くなった人たちへの慰霊と開拓魂を記念して71年5月には豊川(とよがわ)右岸の同公園東側に「拓魂碑」が建立された。碑文には「村づくりに心血を注ぎ、終戦時の団員は530余人となり、敗戦により日本へ引き揚げまでの間に被弾や病魔に伏して200人以上が亡くなった」と記されている。
 同会は毎年春と終戦の日、そして年末の3回、公園に集って碑の管理と慰霊をしている。一時期はアラコ社長だった故関谷節郎氏も参加していた。新型コロナウイルス感染防止のため、昨年は年末のみしか活動できなかった。
 今回は引き揚げ者の伊藤会長(83)=東栄町本郷=と夏目幾世さん(83)=豊川市一宮町、小林政央さん(83)=同市赤代町、橋本克己さん(85)=名古屋市=と、関谷城三さん=故人=の娘・田部井捷子さん(82)=豊橋市八町通5=らが参加した。
 伊藤会長は「碑が建立した当時は200人近く来ていた。私たちの子どもの世代はなかなか引き継いでくれない。しかし碑だけは残る。足腰が動くうちは活動を続けていきたい」とあいさつした。
 語り部として活動を続けている橋本さんは「悲惨な戦争を二度としてはならないということをいつまでも伝えていきたい」と話した。
【安藤聡】

建立から半世紀を迎える拓魂碑の前に立つ三友会会員ら=いずれも新城市桜渕で
建立から半世紀を迎える拓魂碑の前に立つ三友会会員ら=いずれも新城市桜渕で
清掃活動をする会員ら
清掃活動をする会員ら
拓魂碑の碑文
拓魂碑の碑文

カテゴリー:社会・経済

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