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「吉田神社旧式祭礼図絵馬」が民俗文化財に

市民俗文化財に指定された「吉田神社旧式祭礼図絵馬」=吉田神社で
市民俗文化財に指定された「吉田神社旧式祭礼図絵馬」=吉田神社で
有形文化財に指定された獅子頭と鬼面
有形文化財に指定された獅子頭と鬼面
今川義元の寄付の記録も残る棟札
今川義元の寄付の記録も残る棟札

 豊橋市は「豊橋祇園祭」で知られる吉田神社(関屋町)が所蔵する「吉田神社旧式祭礼図絵馬」を市の民俗文化財に指定した。江戸時代の祭礼の様子を明治時代に描いた作品。周辺の神社に伝わったと思われる行祭礼が分かる資料としての価値が認められた。

 絵馬は1890年、京都出身の絵師畑在周が描いた。縦約1・5㍍、横約3・6㍍もある。現在の札木町付近で催した花火や山車(だし)を伴って町内を練り歩く「頼朝行列」などを描いた。
 東西1両ずつ山車で街道を区切り、大筒や綱火を揚げている。神輿渡御の行列は、近隣の寺院から出される飾り鉾から始まり、獅子頭や神輿、頼朝と乳母などが続く。
 山車の前には「立物」と呼ばれる仕掛け花火があり、手筒花火の周りでは3人1組で太鼓を打ち鳴らすにぎやかな「笹踊り」の姿も。笹踊りが到着すると立物に火がつけられた。豊川市の兎足神社や進雄神社などに伝わったものとみられる。
 絵馬制作には「最後の吉田藩主」の大河内信古の子、信好ら350人が寄付した。今回は寄付者と発起人を記した木札も文化財に指定した。
 このほか、頼朝行列で持ち運ぶ「獅子頭」と鬼面(ともに室町時代)と神社神輿棟札やその写しも市の有形文化財に指定された。
 獅子頭は当時、この地を治めた今川義元が寄進したと伝わる。目を見開き、歯をむき出しにして威嚇するような表情が特徴。筒状の耳が後付けされている。
 現在も頼朝行列で神輿の前を歩き、専用の台座に乗せた状態で顔を常に南向きに保って移動するのが決まりだ。
 棟札は神輿の造立や修復時の記録で、今川義元の奉納など戦国から江戸時代の吉田の様子を知ることができる。神輿の棟札は珍しいという。
 市美術博物館では11日から、今回指定された文化財(絵馬は複製)を一般公開する。
【加藤広宣】

 豊橋市は「豊橋祇園祭」で知られる吉田神社(関屋町)が所蔵する「吉田神社旧式祭礼図絵馬」を市の民俗文化財に指定した。江戸時代の祭礼の様子を明治時代に描いた作品。周辺の神社に伝わったと思われる行祭礼が分かる資料としての価値が認められた。

 絵馬は1890年、京都出身の絵師畑在周が描いた。縦約1・5㍍、横約3・6㍍もある。現在の札木町付近で催した花火や山車(だし)を伴って町内を練り歩く「頼朝行列」などを描いた。
 東西1両ずつ山車で街道を区切り、大筒や綱火を揚げている。神輿渡御の行列は、近隣の寺院から出される飾り鉾から始まり、獅子頭や神輿、頼朝と乳母などが続く。
 山車の前には「立物」と呼ばれる仕掛け花火があり、手筒花火の周りでは3人1組で太鼓を打ち鳴らすにぎやかな「笹踊り」の姿も。笹踊りが到着すると立物に火がつけられた。豊川市の兎足神社や進雄神社などに伝わったものとみられる。
 絵馬制作には「最後の吉田藩主」の大河内信古の子、信好ら350人が寄付した。今回は寄付者と発起人を記した木札も文化財に指定した。
 このほか、頼朝行列で持ち運ぶ「獅子頭」と鬼面(ともに室町時代)と神社神輿棟札やその写しも市の有形文化財に指定された。
 獅子頭は当時、この地を治めた今川義元が寄進したと伝わる。目を見開き、歯をむき出しにして威嚇するような表情が特徴。筒状の耳が後付けされている。
 現在も頼朝行列で神輿の前を歩き、専用の台座に乗せた状態で顔を常に南向きに保って移動するのが決まりだ。
 棟札は神輿の造立や修復時の記録で、今川義元の奉納など戦国から江戸時代の吉田の様子を知ることができる。神輿の棟札は珍しいという。
 市美術博物館では11日から、今回指定された文化財(絵馬は複製)を一般公開する。
【加藤広宣】

市民俗文化財に指定された「吉田神社旧式祭礼図絵馬」=吉田神社で
市民俗文化財に指定された「吉田神社旧式祭礼図絵馬」=吉田神社で
有形文化財に指定された獅子頭と鬼面
有形文化財に指定された獅子頭と鬼面
今川義元の寄付の記録も残る棟札
今川義元の寄付の記録も残る棟札

カテゴリー:社会・経済

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