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豊川の平和公園に拡声器と案内板寄贈

市から感謝状を贈られる鳥山さんと今泉さん。右端は森田さん=平和公園の平和交流館で
市から感謝状を贈られる鳥山さんと今泉さん。右端は森田さん=平和公園の平和交流館で
土塁の上に設置された工廠の広さを伝える案内板
土塁の上に設置された工廠の広さを伝える案内板

 豊川海軍工廠(こうしょう)空襲の悲劇を語り継いだ「八七会」の工員養成校5期会が、豊川市穂ノ原の平和公園に、ワイヤレス拡声器6台と、航空写真を利用した案内板を寄贈した。7日、公園内の平和交流館で市から感謝状が贈られた。
 八七会は1957年に結成した工廠で働いていた人たちの集まり。空襲犠牲者の供養と記憶の継承を続けてきた。しかし会員の高齢化により、戦後75年となった昨年8月7日をもって会としての活動は終了した。
 現在、語り部を引き継いだボランティア55人が登録されている。新型コロナウイルスで中止しているが、平和公園周辺を案内し、訪れた人に2500人以上が死亡した空襲の悲劇を伝えている。
 今回寄贈された拡声器は、語り部のボランティアが使う。また案内図は、空襲後に米軍が戦果報告のために撮影した写真を利用したもので、公園内の「第三信管置場」を囲む高さ5㍍の土塁の上に設置された。3㌶の平和公園の60倍の広さがあった東洋一と呼ばれた海軍工廠の一端を垣間見ることができる。
 この日は5期会の鳥山孝義さん、今泉俊昭さん、6期会の森田和夫さんが出席した。竹本幸夫市長から感謝状が贈られた。
【山田一晶】

 豊川海軍工廠(こうしょう)空襲の悲劇を語り継いだ「八七会」の工員養成校5期会が、豊川市穂ノ原の平和公園に、ワイヤレス拡声器6台と、航空写真を利用した案内板を寄贈した。7日、公園内の平和交流館で市から感謝状が贈られた。
 八七会は1957年に結成した工廠で働いていた人たちの集まり。空襲犠牲者の供養と記憶の継承を続けてきた。しかし会員の高齢化により、戦後75年となった昨年8月7日をもって会としての活動は終了した。
 現在、語り部を引き継いだボランティア55人が登録されている。新型コロナウイルスで中止しているが、平和公園周辺を案内し、訪れた人に2500人以上が死亡した空襲の悲劇を伝えている。
 今回寄贈された拡声器は、語り部のボランティアが使う。また案内図は、空襲後に米軍が戦果報告のために撮影した写真を利用したもので、公園内の「第三信管置場」を囲む高さ5㍍の土塁の上に設置された。3㌶の平和公園の60倍の広さがあった東洋一と呼ばれた海軍工廠の一端を垣間見ることができる。
 この日は5期会の鳥山孝義さん、今泉俊昭さん、6期会の森田和夫さんが出席した。竹本幸夫市長から感謝状が贈られた。
【山田一晶】

市から感謝状を贈られる鳥山さんと今泉さん。右端は森田さん=平和公園の平和交流館で
市から感謝状を贈られる鳥山さんと今泉さん。右端は森田さん=平和公園の平和交流館で
土塁の上に設置された工廠の広さを伝える案内板
土塁の上に設置された工廠の広さを伝える案内板

カテゴリー:社会・経済

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