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歴史ある豊川の「角三」食堂の取り組み

明治21年創業「角三」5代目店主の稲石さん
明治21年創業「角三」5代目店主の稲石さん

 現在のJR愛知御津の駅名は、東海道線開通当時は「御油」だった。このため、現在も駅のすぐ北の踏切も「御油踏切」と呼ばれている。
 鉄道が開通して23年たった1911(明治44)年、駅が出来たおかげで、御馬漁港の漁師や繊維関係等多くの業者が駅を利用したことでにぎわい「御油駅前料理旅館組合」を14人の組合員で発足した。愛知御津駅前に石柱が残る。
 1930(昭和5)年、宝飯郡御津町として御油町から分離独立した時、駅名「御津」を変える動きはなく、45年8月7日、空襲で駅舎が破壊された。再建を機に駅名の変更が検討された。
 「御津」は常磐線の「水戸」と混同されやすい。「三河御津」のように「三河」を付ける声もあったようだが近くに三河を冠にした駅名が多いことなどから、48年8月に「愛知御津」の名前が採択された。
 県名を冠にした駅名は全国初のことだった。当時の御油町から反対の声があったという。
 人口1万3000人の御津町は、平成の大合併で2008(平成20)年1月15日に豊川市の一部となった。
 御油踏切のすぐ近くにある大衆食堂「角三(かどさん)」は、1888(明治21)年の鉄道開通とともに創業し、124年の歴史を重ねる。駅前料理旅館組合組合員として街の繁栄に努めてきた。今はその組合もなく、「角三」ほか「木下や」「まる屋」の3軒だけになっている。
 現在の店主稲石裕一さん(41)はホテルなどで料理の修業を重ね35歳で跡を継ぎ、5代目として、店を切り盛りしている。昼のランチが中心で、出前や宴会、夜の一品料理等食堂に特化している。コロナ禍で客が減り、麺つゆ、みかん昆布、ポン酢など、ネット通販などを絡め、販路拡大している。IT技術を活用し、店の売り上げにつなげたいという。
 アフター・コロナを見据えると、一人では限界があり他の店との連携を模索する。その中で「埼玉のおかき」は「角三」の「麺つゆ」とコラボした菓子ができた。次は秋田県で杜氏をしている母の実家とのコラボができればと夢を語った。そんな街の小さな食堂を国際旅行雑誌「東京ジャーナル」が、11日に取材していた。
【原基修】

 現在のJR愛知御津の駅名は、東海道線開通当時は「御油」だった。このため、現在も駅のすぐ北の踏切も「御油踏切」と呼ばれている。
 鉄道が開通して23年たった1911(明治44)年、駅が出来たおかげで、御馬漁港の漁師や繊維関係等多くの業者が駅を利用したことでにぎわい「御油駅前料理旅館組合」を14人の組合員で発足した。愛知御津駅前に石柱が残る。
 1930(昭和5)年、宝飯郡御津町として御油町から分離独立した時、駅名「御津」を変える動きはなく、45年8月7日、空襲で駅舎が破壊された。再建を機に駅名の変更が検討された。
 「御津」は常磐線の「水戸」と混同されやすい。「三河御津」のように「三河」を付ける声もあったようだが近くに三河を冠にした駅名が多いことなどから、48年8月に「愛知御津」の名前が採択された。
 県名を冠にした駅名は全国初のことだった。当時の御油町から反対の声があったという。
 人口1万3000人の御津町は、平成の大合併で2008(平成20)年1月15日に豊川市の一部となった。
 御油踏切のすぐ近くにある大衆食堂「角三(かどさん)」は、1888(明治21)年の鉄道開通とともに創業し、124年の歴史を重ねる。駅前料理旅館組合組合員として街の繁栄に努めてきた。今はその組合もなく、「角三」ほか「木下や」「まる屋」の3軒だけになっている。
 現在の店主稲石裕一さん(41)はホテルなどで料理の修業を重ね35歳で跡を継ぎ、5代目として、店を切り盛りしている。昼のランチが中心で、出前や宴会、夜の一品料理等食堂に特化している。コロナ禍で客が減り、麺つゆ、みかん昆布、ポン酢など、ネット通販などを絡め、販路拡大している。IT技術を活用し、店の売り上げにつなげたいという。
 アフター・コロナを見据えると、一人では限界があり他の店との連携を模索する。その中で「埼玉のおかき」は「角三」の「麺つゆ」とコラボした菓子ができた。次は秋田県で杜氏をしている母の実家とのコラボができればと夢を語った。そんな街の小さな食堂を国際旅行雑誌「東京ジャーナル」が、11日に取材していた。
【原基修】

明治21年創業「角三」5代目店主の稲石さん
明治21年創業「角三」5代目店主の稲石さん

カテゴリー:社会・経済

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