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満蒙開拓団の三友会が慰霊祭

拓魂碑を前にあいさつする伊藤会長㊧と三友会メンバー=新城市の桜淵公園で
拓魂碑を前にあいさつする伊藤会長㊧と三友会メンバー=新城市の桜淵公園で

 太平洋戦争前に東三河から旧満州(現中国東北部)に移住した満蒙(まんもう)開拓団「東三河郷開拓団」の引き揚げ者でつくる三友会による慰霊祭が5日、新城市の桜淵公園であった。80代の引き揚げ者4人とその家族、協力団体の約50人が出席した。
 1939年に東三河地方出身者を母体として移民団が組織され、40年に黒竜江省甘南県に入植した。満州などで亡くなった人たちへの慰霊と開拓魂を記念して71年5月には豊川(とよがわ)右岸の桜淵公園東側に「拓魂碑」を建立した。碑文には「村づくりに心血を注ぎ、終戦時の団員は530余人となり、敗戦により日本へ引き揚げまでの間に被弾や病魔に伏して200人以上が亡くなった」と記されている。
 三友会はこれまで春と終戦の日、年末の3回、公園に集って碑の管理と慰霊をしてきた。新型コロナウイルス禍と会員の高齢化が進んだことから、昨年からは桜の時期のみにした。
 この日、引き揚げ者の伊藤哲人会長(84)=東栄町本郷=と夏目幾世さん(84)=豊川市一宮町、小林政央さん(84)=同市赤代町、橋本克己さん(86)=名古屋市西区=の4人とその家族、協力団体のユネスコ協会が参加した。
 伊藤会長は、かつて100人以上が集まっていたのが4人となった現状を説明し「私の戦後は終わっていません。もう少し生きて拓魂碑を見守りたい」とあいさつした。参列した下江洋行市長は「会員の高齢化が進む中、市としてできることを考えたい」と述べた。
 満州に渡り孤児になって帰国した橋本さんは、ウクライナ国旗をあしらったマスクを付けて出席。「ロシアによる侵攻は人ごととは思えない。この世から戦争をなくすのが悲願」と語った。
【安藤聡】

 太平洋戦争前に東三河から旧満州(現中国東北部)に移住した満蒙(まんもう)開拓団「東三河郷開拓団」の引き揚げ者でつくる三友会による慰霊祭が5日、新城市の桜淵公園であった。80代の引き揚げ者4人とその家族、協力団体の約50人が出席した。
 1939年に東三河地方出身者を母体として移民団が組織され、40年に黒竜江省甘南県に入植した。満州などで亡くなった人たちへの慰霊と開拓魂を記念して71年5月には豊川(とよがわ)右岸の桜淵公園東側に「拓魂碑」を建立した。碑文には「村づくりに心血を注ぎ、終戦時の団員は530余人となり、敗戦により日本へ引き揚げまでの間に被弾や病魔に伏して200人以上が亡くなった」と記されている。
 三友会はこれまで春と終戦の日、年末の3回、公園に集って碑の管理と慰霊をしてきた。新型コロナウイルス禍と会員の高齢化が進んだことから、昨年からは桜の時期のみにした。
 この日、引き揚げ者の伊藤哲人会長(84)=東栄町本郷=と夏目幾世さん(84)=豊川市一宮町、小林政央さん(84)=同市赤代町、橋本克己さん(86)=名古屋市西区=の4人とその家族、協力団体のユネスコ協会が参加した。
 伊藤会長は、かつて100人以上が集まっていたのが4人となった現状を説明し「私の戦後は終わっていません。もう少し生きて拓魂碑を見守りたい」とあいさつした。参列した下江洋行市長は「会員の高齢化が進む中、市としてできることを考えたい」と述べた。
 満州に渡り孤児になって帰国した橋本さんは、ウクライナ国旗をあしらったマスクを付けて出席。「ロシアによる侵攻は人ごととは思えない。この世から戦争をなくすのが悲願」と語った。
【安藤聡】

拓魂碑を前にあいさつする伊藤会長㊧と三友会メンバー=新城市の桜淵公園で
拓魂碑を前にあいさつする伊藤会長㊧と三友会メンバー=新城市の桜淵公園で

カテゴリー:社会・経済

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