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牛川の渡しで豪雨被災の「ちぎり丸」しのぶ

船着き場で子どもらと談笑する荒津さん㊧=牛川町の豊川左岸で
船着き場で子どもらと談笑する荒津さん㊧=牛川町の豊川左岸で
被災した2代目「ちぎり丸」=田原市宇津江町で(提供)
被災した2代目「ちぎり丸」=田原市宇津江町で(提供)

豊橋で船頭らが企画

 豊橋市を流れる豊川(とよがわ)の「牛川の渡し」船着き場で15日、東三河豪雨で被災した「ちぎり丸」をしのぶイベントがあった。船頭の荒津圭伺さん(68)が呼び掛け、モーターボートを使った乗船体験や音楽会を催した。荒津さんは「運航再開まで不定期でも続け、この場所を忘れないでほしい」と話す。
 被災した「ちぎり丸」は6月2日の豪雨による増水で流され、翌日に田原市宇津江町の海岸で見つかった。損傷が激しく、運営する豊橋市は新船の購入を決めたが、運航再開の時期は未定だ。
 豪雨当日は荒津さんの出勤日だったが、大雨警戒レベル4の発令で避難した。自宅のインターネットで豊川の水位を写すライブカメラを可能な限り注視した。翌朝、ちぎり丸の姿がないことに気付き勤務先へ連絡。その後の報道で船が流されたと分かった。
 以前は木製だった船が樹脂製に変わり、市章にちなむ愛称となり2代目のちぎり丸は初運航から26年がたった。船頭歴8年の荒津さんは2人の同僚を含め最古参。それだけ2代目との付き合いも長く、愛着も寄せていたという。
 報道の翌日には漂流現場へ駆け付けたという荒津さん。無事を祈りつつ現場へ向かう心境を「大事故や急病で病院に運ばれた家族や友人を見舞う気分」と振り返った。流木などにもまれてボロボロになった船体に「お役目を果たし、ふるさとへ帰ったのだろう。後継のちぎり丸を見守ってくれ」と労をねぎらったという。漂着場所は建造された造船所と同じ地区だった。
 市は現在、次の船体購入の準備中だ。荒津さんらは再開までに牛川の渡しを忘れないよう、船着き場と河川敷を使ったイベントを開いた。音楽家や音楽サークルによる河川敷での演奏会、船着き場から吉田城跡付近までのクルージングに大勢の家族連れが参加した。
 荒津さんは「再開を楽しみにする人たちが集った。みんなの気持ちを消さないよう、今後も続けたい」と願った。
【加藤広宣】

豊橋で船頭らが企画

 豊橋市を流れる豊川(とよがわ)の「牛川の渡し」船着き場で15日、東三河豪雨で被災した「ちぎり丸」をしのぶイベントがあった。船頭の荒津圭伺さん(68)が呼び掛け、モーターボートを使った乗船体験や音楽会を催した。荒津さんは「運航再開まで不定期でも続け、この場所を忘れないでほしい」と話す。
 被災した「ちぎり丸」は6月2日の豪雨による増水で流され、翌日に田原市宇津江町の海岸で見つかった。損傷が激しく、運営する豊橋市は新船の購入を決めたが、運航再開の時期は未定だ。
 豪雨当日は荒津さんの出勤日だったが、大雨警戒レベル4の発令で避難した。自宅のインターネットで豊川の水位を写すライブカメラを可能な限り注視した。翌朝、ちぎり丸の姿がないことに気付き勤務先へ連絡。その後の報道で船が流されたと分かった。
 以前は木製だった船が樹脂製に変わり、市章にちなむ愛称となり2代目のちぎり丸は初運航から26年がたった。船頭歴8年の荒津さんは2人の同僚を含め最古参。それだけ2代目との付き合いも長く、愛着も寄せていたという。
 報道の翌日には漂流現場へ駆け付けたという荒津さん。無事を祈りつつ現場へ向かう心境を「大事故や急病で病院に運ばれた家族や友人を見舞う気分」と振り返った。流木などにもまれてボロボロになった船体に「お役目を果たし、ふるさとへ帰ったのだろう。後継のちぎり丸を見守ってくれ」と労をねぎらったという。漂着場所は建造された造船所と同じ地区だった。
 市は現在、次の船体購入の準備中だ。荒津さんらは再開までに牛川の渡しを忘れないよう、船着き場と河川敷を使ったイベントを開いた。音楽家や音楽サークルによる河川敷での演奏会、船着き場から吉田城跡付近までのクルージングに大勢の家族連れが参加した。
 荒津さんは「再開を楽しみにする人たちが集った。みんなの気持ちを消さないよう、今後も続けたい」と願った。
【加藤広宣】

船着き場で子どもらと談笑する荒津さん㊧=牛川町の豊川左岸で
船着き場で子どもらと談笑する荒津さん㊧=牛川町の豊川左岸で
被災した2代目「ちぎり丸」=田原市宇津江町で(提供)
被災した2代目「ちぎり丸」=田原市宇津江町で(提供)

カテゴリー:社会・経済

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