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修学旅行を描いた絵巻物 豊橋老津小で見つかる

発見した絵巻物と色紙を紹介する杉田校長=豊橋市立老津小学校で
発見した絵巻物と色紙を紹介する杉田校長=豊橋市立老津小学校で

 34年前の修学旅行はこんな感じでした-。豊橋市立老津小学校(杉田靖子校長)で、1984(昭和59)年、85年の修学旅行の様子を描いた絵巻物と色紙が見つかった。当時校長を務めていた、とよはし市電を愛する会顧問などとしても知られる伊奈彦定さんが手掛けたもの。校長室の本棚に長年眠っていたものを杉田校長が発見。保存状態もすこぶる良く、当時の老津小の児童の様子や旅行の中身がよく分かる内容で、「せっかくのお宝。広く校区の人たちに見てもらおう」と、今月4日に老津町公民館で開かれる「校区文化祭」で展示されることになった。
 絵巻物は長さ11㍍あり、84年の京都・奈良への修学旅行の出発から帰宅までを詳細に描いたもの。色紙は翌85年の修学旅行を32枚にまとめている。ユーモアあふれる絵と文章で楽しく旅の情景を読ませており、屋根のある老津駅舎や児童の服装、お小遣いなど、当時の様子もよく分かる。
 杉田校長が元教員だった叔父の仲介で伊奈さんに連絡、文化祭で披露したい旨を伝え快諾されたという。伊奈さんは84年に新任校長として同校に赴任し、2年校長を務めた。赴任1カ月後の修学旅行とあって、「美術教諭として、子どもたちのために、学校のために役立つことを」と絵巻物を描くことを思いついたそうだ。「子どもたちは土産が気になるが、本当の土産は“土産話”。楽しかった思い出を家族に語ることが一番の土産だと間接的に伝えたかった。“買えないお土産”として描いた」とも話す。
 「初めての校長で、40代と若かった自分を校区の人たちは温かく迎えてくれた。絵を残したのは感謝の気持ち」と伊奈さん。当時の小学生は現在40代。「彼らの子どもが修学旅行に行く年代。絵巻物を見た人が当時を懐かしんでもらえたら」と話す。絵巻物と色紙はこのまま学校に納めたいとの意向で、杉田校長も「素晴らしいお宝。よい形で残しておきたい」としている。
(田中博子)

 34年前の修学旅行はこんな感じでした-。豊橋市立老津小学校(杉田靖子校長)で、1984(昭和59)年、85年の修学旅行の様子を描いた絵巻物と色紙が見つかった。当時校長を務めていた、とよはし市電を愛する会顧問などとしても知られる伊奈彦定さんが手掛けたもの。校長室の本棚に長年眠っていたものを杉田校長が発見。保存状態もすこぶる良く、当時の老津小の児童の様子や旅行の中身がよく分かる内容で、「せっかくのお宝。広く校区の人たちに見てもらおう」と、今月4日に老津町公民館で開かれる「校区文化祭」で展示されることになった。
 絵巻物は長さ11㍍あり、84年の京都・奈良への修学旅行の出発から帰宅までを詳細に描いたもの。色紙は翌85年の修学旅行を32枚にまとめている。ユーモアあふれる絵と文章で楽しく旅の情景を読ませており、屋根のある老津駅舎や児童の服装、お小遣いなど、当時の様子もよく分かる。
 杉田校長が元教員だった叔父の仲介で伊奈さんに連絡、文化祭で披露したい旨を伝え快諾されたという。伊奈さんは84年に新任校長として同校に赴任し、2年校長を務めた。赴任1カ月後の修学旅行とあって、「美術教諭として、子どもたちのために、学校のために役立つことを」と絵巻物を描くことを思いついたそうだ。「子どもたちは土産が気になるが、本当の土産は“土産話”。楽しかった思い出を家族に語ることが一番の土産だと間接的に伝えたかった。“買えないお土産”として描いた」とも話す。
 「初めての校長で、40代と若かった自分を校区の人たちは温かく迎えてくれた。絵を残したのは感謝の気持ち」と伊奈さん。当時の小学生は現在40代。「彼らの子どもが修学旅行に行く年代。絵巻物を見た人が当時を懐かしんでもらえたら」と話す。絵巻物と色紙はこのまま学校に納めたいとの意向で、杉田校長も「素晴らしいお宝。よい形で残しておきたい」としている。
(田中博子)

発見した絵巻物と色紙を紹介する杉田校長=豊橋市立老津小学校で
発見した絵巻物と色紙を紹介する杉田校長=豊橋市立老津小学校で

カテゴリー:社会・経済

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