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江戸時代の祈願札と棟札が見つかる 豊川の荒神宮

江戸時代中期のものとされる木製の祈願札と棟札=豊川市足山田町で
江戸時代中期のものとされる木製の祈願札と棟札=豊川市足山田町で

 豊川市足山田町の荒(こう)神宮から、江戸時代中期のものとされる祈願札と棟札が見つかった。解読した砥鹿神社(一宮町)によると、江戸時代の足山田村の信仰の歴史を現代に伝える貴重な史料だという。
 今春、荒神宮を管理する近隣住民の加藤隆好さん(90)が秋祭りに備えて社殿の内部を片付けていたところ、古びた木製の札が7枚出てきた。砥鹿神社に解読を依頼した結果、1枚が祈願札で、5枚が社殿などの造営を記した棟札と判明した。ところどころ汚れで文字が読めない部分もあり、残り1枚は解読できなかった。
 1694(元禄7)年の表記がある祈願札には厄よけや家内安全、五穀豊穣(ごこくほうじょう)、子孫繁栄を祈願する字が並ぶ。梵字(ぼんじ)で書かれた「諸仏救世者住於大神通」「為悦衆生故現無量神力」は、仏教典「妙法蓮華経如来神力品第二十一」の冒頭部分を引用している。
 棟札には神体を別の場所に移す遷座と、社殿の改築があったことが日付と施主名と共に記され、村の繁栄や厄よけを祈願する字が並ぶ。供え物を準備する神供所を改修した時の札もあった。
 改修に関する棟札に書かれた年号はもっとも古い寛文から貞享、元文、寛延の4種類。約350年前の1672年から80年の間に5回、遷座と社殿の改築があったことが分かる。これ以前の1640年代には、異常気象で全国的な凶作となり、多くの餓死者が出た「寛永の大飢饉」が起きており、度重なる改修は豊作を祈願したものとも考えられる。
 解読を担当した砥鹿神社の三宅勝晴さんは「足山田の神社改築史や信仰をいまに伝えるものとして貴重です。まとまって残っていること自体が希少だと実感します」と話している。
【由本裕貴】

 豊川市足山田町の荒(こう)神宮から、江戸時代中期のものとされる祈願札と棟札が見つかった。解読した砥鹿神社(一宮町)によると、江戸時代の足山田村の信仰の歴史を現代に伝える貴重な史料だという。
 今春、荒神宮を管理する近隣住民の加藤隆好さん(90)が秋祭りに備えて社殿の内部を片付けていたところ、古びた木製の札が7枚出てきた。砥鹿神社に解読を依頼した結果、1枚が祈願札で、5枚が社殿などの造営を記した棟札と判明した。ところどころ汚れで文字が読めない部分もあり、残り1枚は解読できなかった。
 1694(元禄7)年の表記がある祈願札には厄よけや家内安全、五穀豊穣(ごこくほうじょう)、子孫繁栄を祈願する字が並ぶ。梵字(ぼんじ)で書かれた「諸仏救世者住於大神通」「為悦衆生故現無量神力」は、仏教典「妙法蓮華経如来神力品第二十一」の冒頭部分を引用している。
 棟札には神体を別の場所に移す遷座と、社殿の改築があったことが日付と施主名と共に記され、村の繁栄や厄よけを祈願する字が並ぶ。供え物を準備する神供所を改修した時の札もあった。
 改修に関する棟札に書かれた年号はもっとも古い寛文から貞享、元文、寛延の4種類。約350年前の1672年から80年の間に5回、遷座と社殿の改築があったことが分かる。これ以前の1640年代には、異常気象で全国的な凶作となり、多くの餓死者が出た「寛永の大飢饉」が起きており、度重なる改修は豊作を祈願したものとも考えられる。
 解読を担当した砥鹿神社の三宅勝晴さんは「足山田の神社改築史や信仰をいまに伝えるものとして貴重です。まとまって残っていること自体が希少だと実感します」と話している。
【由本裕貴】

江戸時代中期のものとされる木製の祈願札と棟札=豊川市足山田町で
江戸時代中期のものとされる木製の祈願札と棟札=豊川市足山田町で

カテゴリー:社会・経済

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