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64年東京五輪 聖火ランナーとトーチが再会

57年ぶりに五輪聖火トーチと再会した河辺さん㊥=市役所で
57年ぶりに五輪聖火トーチと再会した河辺さん㊥=市役所で
聖火リレーで力走する河辺さん(提供)
聖火リレーで力走する河辺さん(提供)
聖火リレー当時に撮った記念写真(同)
聖火リレー当時に撮った記念写真(同)

 1964年東京オリンピックの聖火リレーで豊橋市内を走った少年が手にしたトーチが、市広報紙をきっかけに元所属企業が保管していることが分かり、57年ぶりの再会となった。走者の河辺道夫さん(72)=向山町=が2日、市役所に浅井由崇市長を訪ね、古巣企業から手渡されたトーチの感触を確かめつつ、思い出話に花を咲かせた。
 河辺さんは五輪開催の64年から2年間、豊橋建設工業(大国町)に勤務した。中学時代はハンドボールに打ち込み、競技団体を率いた経営者の河合弘さん(故人)との縁で、就職後も社内クラブで活動した。
 聖火リレーは10月3日に市内の12区間であり、各スポーツ団体が推薦した若者を選んだ。河辺さんも地元ハンドボール界代表として市役所から東新町まで約1・5㌔を走り抜いた。
 その2年後に河辺さんは退職し、トーチは社内で保管された。2度目の東京五輪が近付いた今年3月の「広報とよはし」に載った聖火リレーの記事を河合正純社長(61)らが発見。担当課を通じて再会が実現した。
 金属製のトーチは長さ71㌢、約800㌘。火の替わりに白煙を噴出する仕掛けだった。
 会社に飾ったまま退職した河辺さんは「会社に置いてなければ今頃はなかったかも」と古巣のはからいに感謝した。57年ぶりの感触に「当時は実感がなかったが、思いが詰まって意外と重い」などと感激した様子。本番1カ月前からスコップを片手に練習した思い出話を披露し、「おかげでトーチが軽かった。監督には感謝だよ」と冗談混じりに語った。
 河合社長は「人づてに聞いていたが連絡先も分からず、広報紙がつなぐ縁に感謝」と、浅井市長は「当時の聖火ランナーとして現役世代を応援して」と喜んだ。
 トーチはこの日、河辺さんに返され、今後は会社との意向で市へ寄贈する予定だ。
【加藤広宣】

 1964年東京オリンピックの聖火リレーで豊橋市内を走った少年が手にしたトーチが、市広報紙をきっかけに元所属企業が保管していることが分かり、57年ぶりの再会となった。走者の河辺道夫さん(72)=向山町=が2日、市役所に浅井由崇市長を訪ね、古巣企業から手渡されたトーチの感触を確かめつつ、思い出話に花を咲かせた。
 河辺さんは五輪開催の64年から2年間、豊橋建設工業(大国町)に勤務した。中学時代はハンドボールに打ち込み、競技団体を率いた経営者の河合弘さん(故人)との縁で、就職後も社内クラブで活動した。
 聖火リレーは10月3日に市内の12区間であり、各スポーツ団体が推薦した若者を選んだ。河辺さんも地元ハンドボール界代表として市役所から東新町まで約1・5㌔を走り抜いた。
 その2年後に河辺さんは退職し、トーチは社内で保管された。2度目の東京五輪が近付いた今年3月の「広報とよはし」に載った聖火リレーの記事を河合正純社長(61)らが発見。担当課を通じて再会が実現した。
 金属製のトーチは長さ71㌢、約800㌘。火の替わりに白煙を噴出する仕掛けだった。
 会社に飾ったまま退職した河辺さんは「会社に置いてなければ今頃はなかったかも」と古巣のはからいに感謝した。57年ぶりの感触に「当時は実感がなかったが、思いが詰まって意外と重い」などと感激した様子。本番1カ月前からスコップを片手に練習した思い出話を披露し、「おかげでトーチが軽かった。監督には感謝だよ」と冗談混じりに語った。
 河合社長は「人づてに聞いていたが連絡先も分からず、広報紙がつなぐ縁に感謝」と、浅井市長は「当時の聖火ランナーとして現役世代を応援して」と喜んだ。
 トーチはこの日、河辺さんに返され、今後は会社との意向で市へ寄贈する予定だ。
【加藤広宣】

57年ぶりに五輪聖火トーチと再会した河辺さん㊥=市役所で
57年ぶりに五輪聖火トーチと再会した河辺さん㊥=市役所で
聖火リレーで力走する河辺さん(提供)
聖火リレーで力走する河辺さん(提供)
聖火リレー当時に撮った記念写真(同)
聖火リレー当時に撮った記念写真(同)

カテゴリー:社会・経済

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